2011年5月31日火曜日

決算報告

数年前から、自転車でサイクリング、もしくはウォーキング、もしくはランニングを行なってきた。
ここのところ、熱心に走っている(もしくは歩くか自転車に乗っている)。
5月はかなりの距離を移動したはずなので、ここで決算としたい。

Runkeeper(iPhoneのアプリケーション、Proレベルが最近無料でUpdateできるようになった、素晴らしい!)を大体常にお供にしているので、全ての記録が残るので非常に助かる。

5月はこんな感じである。

ランニング:50.24km
ウォーキング:45.4km
サイクリング:121.01km
ハイキング:8.12km・・・ちなみにこちらは高尾山6号路を一人で登ったときの記録である。

勿論、全部が全部記録しているわけではない。
ランニングで記録しても実際はウォーキングだったり、ウォーキングで記録しても実際はランニングだったりもするわけで。
でももう少し距離が欲しい。

毎日10km走れば、一ヶ月で300km行くはずなんだから。
そうは言っても、年齢的に無理はできないので、ランニングとウォーキングで一ヶ月200kmでいかがだろうか。
※って、誰に許可とってんだ?
あんまり無理して、脹脛がつったりしてはいけないので勿論無理はしないけど。


本日は、まぁまぁお日柄もよろしく、というかランニングに絶好の日差しだった。
午前にランニングで9.94km走った。
真ん中の5km付近で、大人用ストレッチマシンで20分(結構長い時間だ)ほど集中してストレッチを行う。
本気で行う。
脳味噌以外の全ての筋肉の皺を伸ばす。
午後は、お買い物も兼ねて、自転車で7.13kmほど走る。
と言っても、僕の場合は大人の事情で電気自転車なので、大変らくちんである。

写真は、午前のランニング途中に急流で甲羅干しをする亀である。

2011年5月30日月曜日

更に走る

気がついたら一週間もブログを更新していない。
Twitter(gariken49と申します)とFacebook(garikenと申します)は毎日、何度も更新しているので、まとめて発信したいことがないと中々ブログにいかない。
おまけに自分のお仕事用のHP(www.gariken.comと申します)も地味に更新しているので、ますます足が向かない。(こういうのって足が向かないっていうのかなぁ?)


最近は、特に急ぎの仕事もないので、毎日走るか、全力で歩くか、自転車でかっ飛ばすかを行っている。
※仕事はしたいんだけど、仕事がないのである。そのうち、干上がるので、降参して、肉体労働とかに行く公算が高いが、それも由。

主に川沿いを行く。
大体往復9kmくらいだ。
※家から江ノ島まで25kmなので、近々挑戦のよてい。
僕の住んでいるところのすぐそばに川が流れていて、(最終的に江ノ島まで行く)この川沿いを走るわけだ。
様々な生きものたちに出会うことができる。

例えば、25日は、鼈を見つけた。
かなりでかい。
手前に写る鯉が40cm級であるので、まさに「巨大」である。
この川には亀もたくさんいるので、見間違えるはずがない。
鼈である。
いやはや。



26日は、ジョギングの帰り道、見事にすっ転んだ。
バスケットの練習のように、身体を横向きにしてストレッチ気味に結構なスピードで走ったのだが、見事にすっ転んだ。
ちなみにジョギングのお供は、こいつである。



で、すっ転んだ結果、我がiPhone様がかような傷を負われた。
機能的に何の問題もないので、今も普通に使っている。
※直すとものすごいお金かかるし。
iPhone、丈夫である。


無論、きっちり怪我もした。
ここから激しく血が出た。
んで、2日経ってから打撲も判明、青く腫れ上がった。



その日は妻が新大久保のコリアン街に行っていた。
お土産のチヂミを早速作る。


韓国の唐辛子(真っ赤で辛そうだが実は甘い)を大量にまぶして食べる。
ちなみに、こちらの唐辛子は、日本の市販のキムチにも、キムチが見えないくらいまぶして食べる。
一見、「あっ、これはいかん!」と思うくらいかけるわけだが、うまいんだな・甘いんだな、これが。



27日はお世話になっている某動物病院のスタッフの方々のためにバラ散寿司を作った。


28日は妻と次男と町田の東急上のチェゴヤで辛いクッパを食べる。
※次男が辛い物好きだ。



昨日は実家に行った。
家のトマトのお世話もした。

で、今日は台風も過ぎたので、ジョギング(8.8km)に行き、午後はサイクリング(10.9km)で川沿いを走った。


村上春樹を読み続けている。

「村上ラヂオ」、単行本がブックオフに売っていたので、買った話は書いたが、やはりいい。
ちょっと「いとおしい」とまで思ってしまった。
なんせ、読み終わってすぐに、最初から読み直し始めたくらいだ。


明後日からいよいよ6月だ。
自分でタイムリミットと思っていた月だ。

色々と忙しくなる予感なので、なおのこと運動に励みたいな。

2011年5月24日火曜日

村上春樹を読む

先日、ブックオフに行った。
「村上ラヂオ」の単行本が200円で売っていた。
佐々木マキと大橋歩の画を観たらダメである。
心が溶ける。。
「村上ラヂオの単行本じゃねーか!」で手にとって、「おぉ!やっぱし文庫と画の迫力が違うぜ!」で買ってしまった。
ちなみに、同じ本、文庫で既に持っている。

既に持っている本は結構な確率で買っていると思う。
ほとんどの場合、初見と思って買う、つまり、記憶力が衰えてきている。
年取るに連れてその度合いが激しくなってきたように思う。
なんせ、「おぉ、これは面白そうだ。」と、中身を少し読んだ上で買ってしまうのだから。
家の本棚に同じ本を見つけたときの衝撃はかなり大きい。



村上春樹の本で最初に買ったのは、「1973年のピンボール」、講談社文庫で、今本屋に並んでいるものとは表紙が微妙に違う。



佐々木マキ氏の画に何か感じた。
双子の女の子との出会いと別れ、その「乾いた描写」が何とも好きだった。
今も好きだ。
それと、ピンボール、スペースシップの歴史のところとか。
風の歌を聴けの軽い感じが少し重くなった感じで、そこも好きだった。
今も好きだ。

でもやはり、「風の歌を聴け」である。
こちらも最初の講談社文庫の表紙が好きだ。




村上作品の中では多分これを一番読んでると思う。
確かこの本に触発されて、マイルスとかグレン・グールドとかを聴き始めた。
クールな文体に圧倒された。
その短さもよろしい。

村上作品、特にエッセイに出てくる本やレコードは、結構な確率で自分の人生に影響を与えているような気がする。
1Q84のヤナーチェックと同じように。
REMとかレッドホットチリペッパーズとかね。

後、大好きなのは、やはり羊、「羊をめぐる冒険」、「カンガルー日和」「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」である。

   

村上氏の本って「自分の為に書いてくれたんだァ」と思わせてしまうのが人気の秘密のような気がする。
それと、どんな作品でも「冒険」で「若者が成長していく物語」なんだよね。
そういう意味で、ONE PIECEと同じだ。
それと、「日本」を全く感じさせない。
でも、「日本人だなぁ」と思うところも多々あって、そこらあたりのバランス感覚が「日本人に合う」のかもしれない。

ちなみに、他の長編小説・短編小説・エッセイ集など、殆ど全部読んでいるけれど、「ねじまき鳥クロニクル」は、あの、人の皮を剥ぐ残忍な拷問シーンがどうしてもダメで、これ以降、だいぶ敬遠していた時期がある。

で、今は、冒頭に出てきた「村上ラヂオ」



そして、遅ればせながら、「1Q84」



そして、「走ることについて語るときに僕の語ること」を読んでいるわけだ。

2011年5月22日日曜日

驕り ~二度といかない相模原のY濱屋~

久しぶりにまずいラーメンを食べた。
ブログにこんなことを書くのは気が引けるが、あまりに頭に来たので。

相模原のY濱屋である。
今日は日曜、大変混んでいて、僕達(僕・妻・次男)が食べている間もどんどんお客さんが入ってきた。
スープはかなり美味しい。
今日は新しい辛いのも注文したのだが、スープは美味しい。
で、何が頭に来たのかというと、

1.麺がちゃんと茹だってない!!!
僕・妻・次男、全部、団子状だよ、例えば同系列の成瀬店では考えられない。
麺を茹でる際、「1回だけ」箸で混ぜれば避けられたミスだ。
まともに食べられなかった。
だって、茹だってないんだよ?!
2.チャーハンに白いご飯が!!!
ありえない。
混ぜが全然足りない。
ちなみに、よく混ざってる部分は美味しかったですよ。
3.店員、なってない!!!
妻と次男は感じなかったようだが、店員の「商品の置き方」が全くなっていない。
ドンとテーブルに置きやがった。
「どうぞ、お食べください!」な感じが全く無かった。

どう考えても全て「店長の責任」である。

まぁ、もう二度と行かないので、いいんだけどさ。

流行ると驕るよね、どこも。
店長の顔写真がでかくお店の前に飾ってあったので、「もう来ませんから」とそっと言って来ましたです。

更に走る

今朝は9kmほどJoggingに行ってきた。
毎朝6:30には目覚め、次男を送り出し、妻を送り出し、(日によって)長男を送り出すのだが、6:30に目覚めれば何の問題もない。
できれば、目覚めて意識が覚醒したら、そのままJoggingに出かけたい。
まぁ、そうもいかない。
妻は僕より少し早く起きて、洗濯機を回し、卵を焼き、ハムかソーセージを焼くのが日課だ。

今朝は午後から雨が降るらしかったが、朝は快適だったので二人で朝食を摂り(妻は梅茶漬けぬか漬け付き、僕は食パンの耳を落としたもの2枚にピザソースとチビッとのチーズで焼いたもの)、そのまま妻はお片づけ、僕はJoggingである。


片道4.5kmである。
2分歩き、2分走る、を繰り返す。
川沿いなので大変気持ちがいい。
できれば、海岸沿いがよいが、経済が許さないので、そのまま走る。
会社を辞めてから、無限なくらいに自分の時間ができたので、結構走る。
4.5kmの先に「大人の体操玩具」がある。
誤解されそうだが、「大人の体操玩具」なのだ。
ぶら下がり器具、膝屈伸器具、3箇所飛び跳ね器具、斜め腕立て器具、背筋伸縮器具などである。
ここで、20分ほど身体をほぐす。
ほぼ誰もいないので、全力で器械体操をこなす。
まともに呼吸できないくらい、こなす。
ほぼ2日分のエネルギーを使った感じだ。

なお、帰りはJoggingではなくWalkingである。

帰り道でないと見えないが、鼈(すっぽん)である。
どう見ても亀ではない。
写真では分かりにくいかもしれないが、ものすごい大きさである。
最小幅が30cmくらいである。


無論亀もいる。


鼈は子供も沢山いる。
見えるかな?


Jogging、気持ちいい。
僕はスモーカーなので、そもそもJoggingなど論外なのであるが、それでも気持ちいい。

当然明日も走る。
雨だろうがなんだろうが、毎日走ろうかと思う。
理由は、「気持ちいい」である。

2011年5月21日土曜日

走る

一昨日は、自転車で30数キロ走ってきた。
昨日は、自転車で20数キロ走ってきた。
今日は、機械を使わず、親からもらった両足でジョギングに行く。
村上春樹ではないが、毎日身体を動かす(特に「走る」)ことは、どうやら日常になってきた。
何とも気分爽快である。


全然関係ないが、僕のデスクの前は、芝が広がっていて、そこに可憐な花が咲いている。
ここ数日の素敵な風にそよそよそよと揺らぐ姿が大変素敵だと思う。
この花たちを分けいって、ムクドリたちが何やら啄む(ついばむ)。



今日は、午前中に妻とお買い物で、古淵ジャスコ&ヨーカドー近くの蓮花という塩チャーシューの(評判らしい)とんこつラーメンをお昼に食す。
写真は、看板の塩とんこつ、600円である。
12時開店で、8分前に到着。
そのまま待って、一番乗りである。
初めて入った店である。

大丈夫、おいしい!
この味で600円なら、大満足である。
スープ、麺、葱、海苔、糸唐辛子、完璧である。
何より驚愕は、チャーシューである。
「600円でこのチャーシュー!」である。
かなり、感動する。
擂り胡麻、大蒜、紅生姜、(お好みでどうぞの)塩ダレ、胡椒などが置いてある。
多分何も入れない(あっ、胡椒はいいかも)方がおいしい。

塩ダレはどうしても、「コク」が物足りなく思う。
ダイエット中なのに大きなお世話だが、やはりここは「油多め」で行きたいと強く思う。
なお、妻と同意見だったのだが、「とんこつ系のラーメン屋さんってスープが少ないよね。」と真面目に思う。
多分、見た目に関係するのだろうが、もう少し多くていいと思う。
後、100mlスープが多いと、替え玉率が50%は増すであろう。

なお、妻は味玉塩とんこつにしたのだが、この味玉、看板(に書いてある)とおり、黄身まで味が染み込み、絶品である。
お薦めしよう。

お店も綺麗だし、店主は一生懸命だし、大丈夫である。
後は、スープの量とコクだけである。
レンコンの揚げたのが乗っているが、ガーリックチップを2つ乗せるのはどうだろう。
若しくは、青ネギ(この店の葱は白髪葱である)をひとつまみはどうだろう。
若しくは、黒胡椒を、ガリッと一回しはどうだろう。



家でトマトの栽培をしているわけだが、今日はその支柱やら、諸々お買い物である。

蓮花でお食事&お買い物後、家に帰ってきてから、ジョギングに出かける。

往復9km、川沿いを走る。
1分走り、2分全力で歩くを繰り返す。
半分行ったところで、「大人の」遊戯のある公園がある。
ここでストレッチを約20分。
「身体中の痛くない筋肉がない」状態で家に戻る。
シャワーを浴び、今度は自転車で町に出て、村上春樹を2冊買ってくる。


写真は僕のデスクの隙間から見た、トマトの苗に語りかける妻である。
支柱を建て、主茎を結び、満足気である。

2011年5月20日金曜日

こんな本を読んだ 逆立ち日本論



内田樹強化月間の一冊。
養老孟司氏との対談である。

新書の「あれ、もう終わり?」感がなく、タップリ楽しめる。
そういえば、新潮選書ってなんでしょう?
新潮社のサイトによると、

新書ブームが続いていますが、新書の原稿枚数が400字詰で約200枚(「新潮新書」の場合)であるのに対し、選書は300〜350枚が標準。たっぷりとした読みごたえとともに、ひとつのテーマの全体像が見えてきます。「人間をみつめる」「歴史と文明をよく知る」「科学の眼をひらく」「異文化に親しむ」「思想や宗教をじっくり学ぶ」「文学や芸術を愉しむ」「生活を楽しむ」「現代社会の問題をあぶりだす」「人生を考える」——などなど、切り口はさまざまですが、教科書的な教養路線にとどまらず、不確実な時代に生きる私たちの「考えるヒント」になるようなリアリティのあるテーマを選んでゆきたい、そして、読んでくださった後には「世界の見え方がちょっと変わってしまう」ような、刺激と深みをあわせ持つ作品を提供してゆきたいと考えています。



だそうです。
この1冊しか読んでないけど、ちょっとお値段高い。
1200円だった。
無論、新潮社らしい、長年手元に置いても安心(すぐに黄ばんだりしない、劣化が遅い)なので分かるのだが、それでも高い。
一律1000円なら、納得である。
新潮選書は1000円です!にするとよろしいかとおもう。





閑話休題:
文庫本はどこの出版社のモノが良いだろう、中身でなく。
断然、志ん朝社である、志ん朝文庫である。
あの、紐の栞が未だに採用されていてぐっとくる。
中身関係なく、ぐっとくる。
紙質も最高である。
30年近く前のものでも、きちっとしている。
「もう一度読もう」という気にさせてくれる。
ただ、表紙はそのセンスに絶句orzのものも結構ある。
何といってもひどいのは、KK文庫である。
紙質も軽く、荒く、数年でボロボロである。
嫌な、赤っぽいろに変色する。
触る気にもならない。
無論、紐の栞なんてない。
で、とくに安いわけでもない。
そんなつもりで作っているわけではないだろうけど、どんなKK文庫でもいい、一冊手にとったら、「あっ、KK書店の本って、全部こんななんだろうな」と思うと思う。
何とも安っぽいのだ。
中身まで軽そうだ。
なおI波文庫は、堅牢で好きである。


新書は、K文社新書とI波新書が好きである。
※中身ではない。
何とかして欲しいのはK談社現代新書である。
かなり好きな新書が多いのだが、何と言えない安っぽさがある。
手にとって、1000円近い金額を見ると「!」となる。
多分、経営層を変えるとよくなると思う。


文庫でも新書でも、あの、「要らない」カバーって何とかならないか。
カバー要らない。
本屋さんは、さらに「カバーは?」と聞いてくれるが、カバーに更にカバーである。
ペーパーバックのようにしてほしい。
カバー要らない。
帯もいらない。
あと、1000年もしたら、実現するかな。
※何年たっても、紙の本がなくなることはないので。





「本は安い!」というのはよく聞く言葉だが、毎日毎日買う人にとっては、決して安くはないと思う。
最近は、文庫で1000円とか平気でするし。
最近本当にどこでも見かける本の廃品回収屋(ほら、あの、オレンジと青のお店)に出回るモノを皆さんが挙って(こぞって)買いに行かれるのがよく分かります。
定価2000円のモノが、105円とかで売ってますもんね。
無論、ここ(ほら、あの、オレンジと青のお店)で買っても、著者・製作者・出版社には一円もお金は入らない。(認識違ったら、ごめんなさい)
日本の知的礎を根底から崩すことにならないか。
心配である。





え~っと、「逆立ち日本論」である。
大変面白い本なので、ぜひ、買って読んでください。
「どの辺が面白いの?」という質問にお答えするには、「それはね」と、全部をここに引用するしかないのである。
対談集である。
知的に面白い。
対談集って、自分に興味のない話がちょっと続くとすぐ、本を閉じたくなるが、それはない。
大丈夫。
内田氏が少し多めに話しているが、それは、養老氏の思惑通りである。
養老氏は「過激」、内田氏は「常識をちょっと外れている」感じがする。
Amazonの書評がちょっと厳しめだったので、構えて読んだけど、サイクリングから帰ってシャワーを浴びてからお昼寝の後にでも読める。


素敵な本である。
でも、1000円だといいな。

Cycling!

晴れていて、急ぎの仕事が無い時は、運動か読書である。
昨日は、夏かと思うほど晴れたので、運動である。
午前中に、面倒くさい諸々金融関係のお仕事を済ませ、妻の作ってくれたオカカのおにぎり食べて、サイクリングである。

八王子方面に向かう。

我が家から境川が徒歩1分である。
川沿いをひた走る。
RunKeeperがお供である。

時々、きれいな花の写真を撮る。






無論、亀も撮る。
何やら、難しそうな会議中の様相であった。
「では、貴方は、現在のこの川の水位をどのように思うのか!」とか言われたら困るので、とっとと走り去る。



八王子方面というより、高尾山方面に向かっている。
何時までも川沿いを走るわけにもいかない。
あちこち、川の工事をしているのだ。


結局、橋本あたりまで行く。
Arioである。
スポーツ用品店で縄跳びを買おうかどうか15分(ひとつの商品を買うかどうか迷うには長い時間だ)程悩み、各局買わずに、そのまま帰る。



往復、約30kmである。
午前中に、町田~古淵を往復しているので、35kmくらいか。
激しく疲れる。

家の僕のお仕事デスクの前(芝生である)には、ムクドリ達が会議中である。


なお、我が家(鵜野森)から高尾山まで19km、江ノ島まで25kmであることが判明した。
30分で7km~9kmくらい行けることが分かっているので、楽勝である。
ナイスな自転車を買って、毎日どっちかに行くようにしようと思う。

一緒に行く方、いますか?

2011年5月17日火曜日

こんな本を読んだ 世にも美しい数学入門



子供の頃、正確には小学校から高校2年生くらいまでは数学が大好きだった。
「スキっと答えが出るのが好きだった」と、多くの人が数学好きの理由を述べるが僕はそうではない。
答えがパチッと一つだけ出るのが、何とも胡散臭かった。
ただただ、「計算をしているのが面白かった」のだ。
正直、「美しい」などと言う言葉で数学を考えたことはない。
しかし、この本を読むと、「美しい」と思っていたんだろうな、と言うことが分かる。

藤原正彦氏は、「すぐに世の中の何かに役立たないから数学なのだ」と、凡人には言えないようなことをサラッという。
ふ~ん。



たくさんの数学の定理や不思議な数や解かれていない(証明されていない)問題が出てくる。

例えば、友愛数。
220と284。
自分自身を除いた全ての約数を全部足すとそれぞれ284と220になる。

例えば、完全数。
6とか28。
約数を全部足すと自分自身になる。

例えば、「醜い定理」。
153、370、371、407。
1以外の数で、各桁の数字の3乗を足すと元に戻る。

例えば、円周角の性質。
一つの弧に対する円周角の大きさはすべて等しい。

例えば、ゴールドバッハの問題。
6以上の偶数はすべて二つの素数の和で表すことができる。

。。。なんかワクワクしません?
あっ、しませんか、ごめんなさい。

こんな本を読んだ 14歳の子を持つ親たちへ



もう僕の子供は14歳ではなく、19歳と22歳なのだが、内田樹強化月間(いつ終わるんだ、まだまだ新刊でてるし、追いつかない。。。)なので当然、読む。
精神科医の名越康文氏との対談だ。

別に14歳の子どもがいなくても、自分が14歳の時があったのなら読むべき本だろう。
「なんかこれ変だよね」という話で、大変まともな話が面白おかしく続く。
内田節が所々炸裂する。
相変わらず、我儘で、独りよがりで、激しく説得力があり、「んもう、その通りじゃないか!」というのが満載で、一気に読める。
大変楽しい本である。
買って損はない。



モンスターペアレントって言われる生物(せいぶつ)もこういう本は読むのかな。
モンスターペアレントって「自分は絶対に正しい(=悪いのは自分以外の利害関係者=先生とか学校である)」、若しくは「自分は悪くない(=悪いのはこういう行動を自分に取らせる自分以外の利害関係者=先生とか学校である)」と思っているいきものなので、案外、読むのかもしれないな。
いつも思うのは、モンスターペアレントって「暇人」だよなということだ。
「ちゃんとした人」は、決してモンスターペアレントと言われるモノ達のような行動は取らない。
まぁ、要するに「ちゃんとした人」ではないのであろう。

ちなみに、モンスターティーチャーって言葉はないのだろうか。
あるのかな、僕が知らないだけだろうか。
二人の子どもを小学校・中学校と送り出してきたが、想像を絶するひどい教師は確かにいた。
今思い出しても身震いする。
どうすればいいのかは簡単である。
教育の現場から去っていただけばよいのである。
1年も現場でやれば、どういう教師かは上の人はだいたい分かるだろう。

2011年5月16日月曜日

満遍なく太っている

大相撲夏場所(技量審査場所)に父と行ってきた。
本当は母と父に行ってきて欲しかったのだが、「狭い場所にじっと座っているのは辛いから」と母が、辞退したので、僕が行くことにする。
実は初めての大相撲観戦である。
父は、接待とか、あるいは接待とか、または接待とかで3回目くらいだそうだ。
蔵前の時にも行ったそうだ。

町田からロマンスカーに乗り新宿へ、すぐに総武線に乗り換えて両国に向かう。
総武線だけ各駅停車だったが、1時間前後で着いてしまう。

きっとガラガラに違いないとの予想を裏切り、まだ15:00くらいだというのに、結構な人手だ。
一番多いのは、ご贔屓の力士を待つ人の群れである。
皆、楽しそうだ。
ちなみに、チケット(今場所は、「技量審査」なので基本、料金はない)は早くに捌けたようで、「入場のチケットはありません!」と女性のスタッフの方が絶叫している。
早めに入手しておいてよかった。


時間がまだ早かったので、父が行きたいと言っていた「相撲博物館」に向かう。
でかい国技館の裏だというので向かう。

で、そこは大江戸博物館とやらで、父の目指すものと全然違う。
係の人に、国技館の中にあるんですよ、と言われて即、国技館に入場する。

正面から入る。





物々しい、感じだが、「なんかいいかんじ」である。
チケットを渡して、半券をもらう。
半券を切る人は、少し前まで現役だった力士である。
僕の半券を切ってくれた人はこの人。
う~ん、現役時代の名前を思い出せない。
「あんた、誰だっけ?」とも聞けないので、そのまま入り、正面右(多分右だろう、で右に行った)の相撲博物館に入る。



昭和・平成の大関・横綱の縁の写真・まわし・手形などがズラッと並ぶ(写真撮影禁止)。
懐かしい顔が並ぶ。
博物館は、案外な狭さで、父は「こんな狭いところだったのか」と絶句していた。
博物館を出た目の前で僕が「タバコ吸っていい?」とことわり、タバコを吸い始めると、父が固まる。
「どうしたの?」と聞くと、僕の1m先に、先に喫煙していた元某関取(たしか大関まで行った)がいた。
どうも好きな力士だったらしく、ちょっと興奮していた。




さて、初めての国技館である。
入り口(正面入口)が広くて気持ちいい。
義援金の箱があったので、持っていた全ての小銭を入れる。
これはどこでもそうしている。
友人の相模原市議会議員の入門時の仲間で作る会の仲間、元横綱北勝海が皆に囲まれていたり、テレビでしか観たことがない顔をあちこちで見る。

知識で知っていた枡席。
4人座ることができる。
昔(父が接待で使っていたような10年も20年も前)は、ここにお酒やら焼き鳥やらお土産やらを持ってきてくれたようで、父は「とにかく狭かった」と言っていたが、まさに「狭い」。
どう紹介すればいいか迷った末、今回父と僕の二人だったので、足を伸ばしたそのままの写真を公開したい。
二人ならゆったり足を伸ばせる。
「ここに四人は無理!」と父にも言ったが周りには四人で固まっているところもあり、『腰とかやられませんように』とお祈りする。
でも、今回は技量審査の場所なので、やはり、いつもよりは空いてて、皆で譲りあう姿をあちこちで見た。
譲り合いが、大変気持ちいい。



席に座るには、狭い通路(幅25cmくらい)を通り、靴を脱いで上がる。
靴は、通路の隙間に入れる。
大変狭い通路だが、皆、気持よく道をあけてくれる。

今回は「技量審査」の場所だからか、飲酒が禁止である。
勿論、どんなところにも必ずいる「お酒持ち込み」の集団はいる。
お土産どころも全部閉まっていて、お弁当とか飲み物とかお菓子を売るところだけが空いている。
つまり、「 白鵬 と書いてある湯飲み茶碗が欲しい」と思っても、それは手に入らないのである。




生の大相撲を始めて観た。
枡席とはいえかなり離れていたので、イマイチ取り組みの詳細は分からない。
しかし、何と言っても感じたのは、「パッと見た目の美しさ」と「間の美しさ」である。

とにかく綺麗である。
清潔であるということではなく、「美しい」のである。
(観たことないけど)多分、歌舞伎ってこんな感じなんだろうな、と思う。
土俵、柱、力士、力士のまわし、力士の座る座布団、行司の衣装、何もかも美しい。
くらくらする。

また、相撲の「仕切り」の意味も何となく分かった。
何度も相手と仕切ることで「闘争心を高める」とかも勿論あるのだろうけど、やはり、その「美しさ」を観ている人に観てもらうための「間」なんだと思う。
じっと観入ってしまった。

大相撲の写真撮影は難しい。
ちょっと離れたら、iPhoneでは限界だ。
一眼レフ、持ってくりゃよかった。


18:00終了で、10分ほどでこんな感じになる。
手際が良くて気持ちがいい。



外に出るとまだ明るく、両国駅までは長蛇の列である。
と言っても、電車は案外な空き方で、父とのんびり座って新宿まで戻る。

写真は、両国駅手前、国技館の横手に見えるスカイツリーである。
スカイツリーは、総武線の中から観るのが一番の迫力であった。


新宿からロマンスカーでのんびり町田に帰る。
国技館の中では、ペットボトルのお茶と水を飲んだだけ(約3時間、本当にそれだけ)で、「何かの修行か?」と思うくらいだったが、集中して観ていたので時間の経つのは大変速かった。
ロマンスカーの中で、父とビールを飲む。
崎陽軒の焼売と砂肝の燻製で乾杯する。
わずか30分で到着してしまうので、無駄口も叩かず、飲んで食べる。
駅には妻が車で迎えに来てくれていた。


父と相撲観戦は初めてだったが、、そろそろ80歳とは思えぬ元気さと足腰で驚いた。
また、機会を作って、一緒にどこかに行こうと思う。
とても楽しかった。
なお、一番良かったな、と思ったのは、父が別れ際、片手を上げて、「今日は楽しかった、ありがとう」と言った瞬間である。


そうそう、お相撲さんは、満遍なく太っている。
ちょっとお腹が出ると、「とうちゃん、ここにはなにがつまっているの?」と子どもが訊くので、「ここかぁ?ここには、夢と希望がいっぱいつまってるんだ!」と言ってきたが、何、気にすることはない。

Turtle Roadを

天気がいいとiPhoneを片手に川沿いをWalkingである。
往だけならいいが復もある。
すくなくとも合計6kmは歩く(時々我慢できずに走る、だからJoggingというのが正しいのかもしれない)が、距離というよりも、時間で往と復を計算して歩く。

ちなみに、江ノ島まで行くこの川には、鵜野森~古淵あたりまでに亀が(鼈が)多数生息している。
亀たちもお気に入りの甲羅干し場所(本当の甲羅干しだ)があるようで、集中している。

こんな感じである。


下の写真は、亀をターゲットに左から来た鯰を捉えた写真である。
絶対ナマズである。
この川には、鯉も、でかい金魚もいるがいつも見ているので間違えない、泳ぎ方が全然違う。


一人(ひとりでいいのかなぁ?)のこんな亀もいる。


今度は鼈を撮りますね。

2011年5月11日水曜日

こんな本を読んだ 現代思想のパフォーマンス



内田樹強化月間の一冊。
「映画の構造分析」と連続して読むと面白いと思う。
話、重なってるところあるし。

フランス現代思想の巨人たちを中心に、6名の思想家に焦点を当てて、内田氏と難波江氏が交互に書いている。
巨人の紹介と解説、その思想を様々な映画や本と絡めて面白く紹介してくれている。
面白く紹介、とは、現代思想をツールとして使いこなす技法を実演(パフォーマンス)している、ということで、難波江氏がわざわざまえがきで、「この本はマニュアル本ではない」とことわっているくらいだ。

でもでも、、、

内田氏があとがきで書いているように、「サルでも分かる現代思想」を目指した本のようだが、まぁ、分からない。
面白いけど、分からない。
何回読みなおしても、全然頭に入ってこない箇所が大量にある。
それと、震災から2ヶ月の今、「俺、こんな本読んでてていいのか?」という思いが、その分からなさを加速する。
出口のない迷路に迷い込んだようだ。

ただし、面白いことは面白いのだ。
全然理解出来ないことが満載なのに面白いとはどういう事だ、と思うが事実である。
というか、「で?」と「ほほー」が交互に現れるので、休んでいる隙がない。
多分、お二人の文体に独特のリズムがあるのだろう。
またパフォーマンスが意外なものを取り上げているので、「へぇ」と思う。
そのパフォーマンス対象は映画だったり、本だったりするわけだが、観ていなくても、読んでいなくても大丈夫なように書いている。
※でも、観て・読んでるともっと分かると思う。
毎年再読すると、毎年別の感想を持ちそうだ。

ちなみに、6名とは、ソシュール・バルト・フーコー・ストロース・ラカン・サイードである。

ビジネス書ばっかり読んでいる人が手に取ることは決してないだろう。
何故なら、「すぐに役立たない」し、「ビジネス=お金に直結しない」し、第一「分からない」だろうから。

こんな本を読めて幸せである。

2011年5月10日火曜日

こんな本を読んだ 映画の構造分析



内田氏の思惑通り、大人買いを計画している。
そう、映画のDVDである。
「買ってこようっと ♡」だけで10本は行く。
そうだ、映画観よう!と思う。
仕事をやめて、今、お仕事は1本だけ(これがなかなか厳しいが)なので、時間は売るほどある。



内田樹強化月間の一冊、映画を通して、現代思想のフレームを解説している本だが、いやぁ、面白い。
夢中で読んでしまう。
思いもつかなかったことをきっちし、「構造化」して解説してくれる。
※まあ、だからこそ、お金を出してこの本を買ったんだけど。
文庫なので、1000円もしないので、買ってください。

大好きな大好きな大好きな「大脱走」の分析が秀逸である。
登場人物をこんな風に分類して観たことなかった。
そういや、女性が全然出てこない。
この映画の監督の前作とかぶる主要主人公達の扱いとか考えたこともなかった。
なるほどこんな見方・構造化の方法があるのか、と思う。
使っていなかった脳の(どこか分からないけど)部分が刺激されているのを感じる。
※無論、再度DVDを見直しましたよ。

小津から西部劇からSFからチャップリンまで、観なきゃいけない(観たい!)映画が沢山出てきた。
んもう、どうしよう!

なお、映画もさることながら、どうせ分かりゃなしないが、フランス(に限らず)現代思想・哲学の巨人たちの事を知りたいと思う。
ラカンだのストロースだのフーコーだのバルトだの。
どうせ分かりゃしないけど、日本語に訳されているのを買ってきて読もうかな、と思う。
そうだ、全然関係ないけど、数学もちょっと勉強したいな。

果てしなく暇な訳ではないんだけど、ちょっと知りたいことを確認するだけでも結構膨大な時間とお金が必要だ。
Webでちょいちょいと出てくる「情報」とは違うんだよね。
うん、忙しいな。
おっと、その前に、らっきょうを漬けなきゃ。

Walking Man Ⅱ ~ 高尾山一人散策

昨日は、一人で高尾山に行ってきた。
そう、一人である。
午前中に、自動車税やら固定資産税やら、一体何に使われているのか分からない税金を支払ってから電車で向かう。


町田から横浜線に乗り、八王子に向かう。
快速で快調に進む。
座れるほど空いてはいなかったが、まぁ、ガラガラと言ってよいだろう。
八王子から中央線に乗り換え二駅、高尾駅に着く。
中央線はガラガラだ。
京王線に乗り換え、高尾山口駅に着く。
京王線もガラガラだ。
ここまで、約40分くらいだ。

まずは腹ごしらえということで、高尾山に来たらここ!の高橋家に入る。
駅からの参道を抜けた最初の右側のお店だ。


さすが平日、混んでいない。
でも空いてもいない。
すぐに座れた。
今日は、最近凝っているせいろである。
※漢字で書くと、蒸篭である。
しかも、大盛りである。
せいろ650円、大盛り150円増しである。
蕎麦が冷たくて、やや固めで実にうまい。
お蕎麦の香りがする。
休むことなく、「もり」の状態で食べ進める。
せいろは、蕎麦の塊の一番上を数本ずつ掬っていけば綺麗に取れる。
大量に掴んでしまうと、汁にどっぷりつけなくてはならなくなってしまうので、よろしくない。
※もっとも、汁が薄かったらその限りではない。「いきなり」がよろしくないと言っているのである。

最後の二口くらいになったら、テーブルに置いてある「海苔」をのせ「ざる」にして食べる。
最初から海苔を振ってしまうと、海苔の風味と味が勝ってしまうので、お蕎麦本来の味と香りを味わうことができないのでそうしている。
なお、そのテーブルの最初の客だったらしく、山葵(ここは山葵はテーブルに、竹の容器に入っておいてある)が摺りたてのものが手付かずでこんもり容器に入っていた。
嬉しい。
ちょびっとづつ二回に分けて汁に溶かしていただく。
最後に、そば湯を頼むと、熱々のを持ってきてくれる。
全部飲み干し、満足である。
ご自由にどうぞのそば茶もいける。
大満足でお店を出る。
震災義援金の箱がレジ隣にあったので、いつものように、財布の小銭を全て入れる。





店を出ると直ぐ目の前がロープウェイの入り口だ。
今日は6号路を目指すので、ここはスルーして左の道を入る。
パラパラと人がいる。
平日なのに皆なんで高尾山なんか登るんだろう。
って、人のことは言えないけど。
でも、僕は目的がある。
そう、「頭の中を空っぽにする」ことである。


6号路を出発してすぐ左脇に、小川が流れている。
このあたりはまだ坂が緩やかで、油断する。


このあたりから一気に山道に入る。





アヤメ科のシャガである。
至る所に群生していた。
美しい花だ。






大山橋である。
橋といっても2歩で渡れてしまう。
このあたりまでで、既に大汗である。
足も既に痛い。
しかし、ここからいよいよ湿地帯に入る。
しかも急坂である。
滑って転ばないように気を付けないといけない。





湿地帯を何とか抜け、大きく右に曲がると、歩きやすい道に出る。
歩きやすいけれど、ここからの急な木の階段が、超難関である。




全力で登り切る。
山頂だ。
6号路から登ると、薬王院とかはストっばしていきなり山頂に来ることができる。
無論薬王院は帰りによるわけだ。



既に頭の中は空っぽである。
間抜けなことに飲み物を何も持たずに来たので、喉もカラカラである。
山頂で水(冷たいイロハス、200円なり)を買い、半分ほど飲み、息を整え、今度は下りである。






薬王院が続く。
いつ来ても、上の方から天狗に見られているような気がする。
身が引き締まる。














薬王院を抜け、1号路方面に向かう。







リフト乗り場まで来た。
ここを左に曲がる。
すると、信じられないくらい急なアスファルトの下り坂が続く。
間違いなく、登りよりきつい。
足が、特に脛のあたりがものすごく痛い。
これが約30分以上続く。
時々水を飲みながら、休まず突き進む。
何も考えることができない。


金比羅方面から一気に降りる。



ヘロヘロで高尾山口駅に到着する。
約3時間ほどのWalkingだったが、合計休憩時間は多分5分くらいである。
さすがに疲れた。
来た通りの電車で帰る。

非常に満足な一人Walking(っていうよりHikingか?)であった。
一人稲村ヶ崎は既に経験しているので、次は、一人江ノ島である。

あっ、勿論ちゃんと仕事はしますです、はい。

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