2010年11月14日日曜日

どんな本を読んでるかでどんな人か分かるか

「どんな本を読んでるかでどんな人か分かるか」なんて、勿論大体しか分からない。
本棚を見せてくれと言いたい。
その方が早い。

ただ、最近大流行の推理小説(っぽい)本とか(ほら、あの山積みの文庫の)、軽~いノウハウ本とか、まともに読むと難しい内容を女子高生が読むと?とかの本とか読んでる人より、「原著」(著者が書いたまんま)を読む人の方が本物だよなと素直に思う。
人間としての重みが全く違うと思う。
ふん、そんなの感性の問題じゃん、と反論が聞こえてきそうだな。
大変失礼だが、何十年も人を見てきて確信している。
そもそも、一家のご主人の本棚がない!とかありますもんね。
う~ん、と思う。「う~んと思う感覚に賛成してくれる人」の方が多いと信じている。
重厚なお年寄りが亡くなり、本棚を見せていただいたとき、山手樹一郎の本だけがずらっと並んでいたらそれは、引くだろうと思う。


長く、沢山の本を読んできた経験からも、分かろうが分かるまいが「本物」を読むほうがいいに決まっていると思う。
原著の持つ匂いやリズムや著者の澱などが、視覚と(聞こえるはずのない感覚下での)聴覚とかに沁みてくる。
「外国語のものはどうすんの?」などと反論が聞こえてきそうだが、「翻訳でいいじゃん、何か?」である。


簡単に言うと、基本的に「ベストセラーを読まない」様にすればよいと勝手に思っている。
読まないわけにはいかない本もあるけど、そんなのかなり少ない。

でも、まっ、自分で読みたい本を読めばいいわけで。
マネジメントなら、少なくとも、「抄訳」を読みたいよね、と思うわけで。


こんな本を読んだ。
毎度、「樹本」で恐縮だが、「ドキドキワクワクウルウル」なんだから仕方ない。
年末に向かって、少し時間ができそうなので、ブログに僕の考えをUpしたいと思っている。

ひとりでは生きられないのも芸のうち

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今、読んでいる本、こんな本を手元に置いている。
年内に読んでおきたいと思っている本も含めて記しておこう。

買った。
鎮めてもらおーじゃねーかと思う。
う~、楽しみである。

邪悪なものの鎮め方

邪悪なものの鎮め方

価格:1,680円(税込、送料別)



文庫になってるとは知らなかった。
若いころに読んだが、全く違う読み方ができるはずである。
う~、楽しみである。

チベットのモーツァルト

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買った。
う~、楽しみである。

態度が悪くてすみません

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年末に向けて時間を確保して、改めてじっくり読みたい本だ。
う~、楽しみである。

築地

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買った。
う~、楽しみである。

健全な肉体に狂気は宿る

健全な肉体に狂気は宿る

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ベストセラーだが、やっと買った。
う~、楽しみである。

憲法九条を世界遺産に

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そうそう、後、これも。


韃靼疾風録(上巻)

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韃靼疾風録(下巻)

韃靼疾風録(下巻)

価格:920円(税込、送料別)



あたしンちの最新刊も読まなきゃならんし、OnePeaseが大変なことになってるので追わなきゃならんし、忙しい。

APEC厳重警戒体制の中ノー天気に横浜中華街に向かう

大人の事情で町田から横浜に向かう。
APECのおかげで横浜線町田駅にも警察関係の方が、警備にあたっておられる。
横浜方面のホームには、若き雲着くような大男の警察関係の方がゆっくり警備にあたられていた。


妻と横浜につき、そごうを廻り(何も買わない)、ジョルナの地下の回転寿司(魚敬)にて昼食。
生シラス寿司なんぞをいただく。
銭もないのに、そんなもの食べていいのかとも思ったが、寿司を食べるのが半年ぶり(うぅ、貧乏。。。)なのでいいじゃないかということで、好きなだけ食べる。


(そごうの入口のところ)














(生シラス寿司)















大人の事情を片づけ、妻と横浜中華街に向かう。
みなとみらい線はガラガラ。
中華街近辺は、警察関係の方が多く、デモ隊みたいな方々がシュプレヒコールを挙げており、何だか緊迫している。
道路を隔てた目の前で、警官×50人に対し、デモ隊(に見えない普通の人5人くらい+何だか旗持った方10人くらい)の方が、もめている。
「何か起こりやがれ!」な野次馬(と言っても数十人くらい)が取り巻くも、中華街は穏やかな雰囲気で客引きが盛んだった。















































































次回は、お腹を空かせて、少しゆっくり来たい。
妻は、バスガイドさんだったので、何度も来たことがあるようだが、面白いうように諸々忘れていて、初めて来たような素振りである。

この店が、17:00開店前に長蛇の列で、「よし、次回はここ!」と思った。
※ググると、肉そばと焼売がよさげである。
















帰り、横浜線が少し遅れてややイラッとしたが、無事町田に着く。

子どものために、渾身の肉蕎麦を制作する。
※妻には、とろろまで入れてあげる。


一眼レフをくれたY氏にお土産を購入するのを忘れ、「しまったぁ!」と思ったがもはや遅い。

2010年11月7日日曜日

こんなCDを買って聴いた EMINEM CURTAIN CALL


EMINEMである。

LOSE YOURSELFを聴きたくて買った。
本日iPhoneに入れて、自転車で15kmほど、このRapを聴きながら川沿いをブッ飛ばす。
お腹痛いし、少し頭も痛いし、何だか膝も痛いし、少し眠いので、ゆっくりゆっくりブッ飛ばす。

体調今一なのに、サイクリングってどうかと思うが、気持ちよかった。

こんな本を読んだ 子どもは判ってくれない

子どもは判ってくれない

子どもは判ってくれない

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内田樹氏は教育論も出版しているので、その手の話かと思って手に取ると全然違う。
ブログで展開された「大人ってこんなこと考えて、こんなことするんです」に加筆されたワクワクドキドキの話が縦横無尽に内田ワールドとして紡ぎだされていく。
読み進めるのがもったいないくらいだ。

相変わらず、瞬きせずに読まずにいられない。
「むむむむ」箇所を全部書いてたら、全て書き写さなければならないので2か所だけ。


p.124 「自立というのは、ある意味では単純なことだ。それは要するに「バカな他人にこき使われないですむ」ことである。」

p.304 「多くの人が勘違いしているが、人間の価値は、その人にどれほどの能力があるかで査定されているのではない。その人の「替え」がどれほど得難いかを基準に査定されているのである。」

むむむむ。

こんな本を読んだ 坊っちゃん

坊っちゃん改版

坊っちゃん改版

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漱石は定期的に読み返す。
読むたびに新鮮な気持ちで読むことができる。
「新鮮な気持ちで」というところが大事で、他の小説家の小説ではそんなことは無い。
なぜなのか最近少しわかってきた気がする。
それは、「小説としての読み返しに堪えるレベル、たくさんの仕掛け、ワクワク度と落とし込み、言葉の遊びなどが同時代の小説家の小説(同時代だけではない)と段違い」なのだ。


久しぶりに坊っちゃんを手に取る。
30分で読める。


昔テレビで坊っちゃんをやっていた。
調べると、1970年10月末から11月末の6回連続放送、ちょうど40年前だ。
※その前にも何度も映像化されている。

僕が見た回は竹脇無我だ。
※竹脇無我と言えば、坊ちゃんと姿三四郎とだいこんの花である。
今でもかなりよく覚えている。
坊っちゃんが竹脇無我、山嵐が田村高廣、教頭の赤シャツが米倉斉加年、野だいこが牟田悌三、校長のたぬきが松村達雄、うらなりが小松の大親分、マドンナが山本陽子。。。清を覚えていない、多分北林谷栄だったのではないだろうか。

田村高廣が圧倒的に印象に残っている。
僕の中では田村高廣といえば、兵隊やくざの有田上等兵、二十四の瞳の磯吉、そしてこの山嵐である。

坊っちゃんを読むと、上記の登場人物たちが頭の中で躍動する。

何だか楽しい。

こんな本を読んだ 日本辺境論

日本辺境論

日本辺境論

価格:777円(税込、送料別)


2010年度の新書大賞第一位の新書である。
ネットなどに内田氏の独自論ではなく色んな先人たちの言葉を集めただけだということが載っているが、本書の最初で、内田氏自身が先人の受け売り満載で「この本のコンテンツにはほとんど新味がない」とわざわざ断りを入れている。
先人の受け売りをただ記載するのでなく、それを内田樹という糸で独自の編み方で紡いでいるからよいのだ。


日本人はとことん「辺境人」でいこうぜ!と説いている。
「ここが面白いです」という箇所を全て指摘したら、本書全部になってしまうので、ドッグイヤーしたところを中心に少しだけ中を見てみよう。
「ふ~ん」「へぇ」「ほぅ!」「いやいやいや」の連発だ。


p.22 「私たちはどれほどすぐれた日本人論を読んでも、すぐに忘れて、次の日本文化論に飛びついてしまう。。。略。。。日本についてほんとうの知は「どこかほかのところ」で作られていて、自分が日本について知っていることは「なんとなくおとっている」と思っているからです。」

p.23 「私たちが日本文化とは何か、日本人とはどういう集団なのかについての洞察を組織的に失念するのは、日本文化論に「決定版」を与えず、同一の主題に繰り返し回帰することこそが日本人の宿命だからです。」

p.37~38 高校生に日本国憲法を書いてもらうコンクールで「そこそこの国」が理想です、と書いたくだりから、「右の端には「あの国」があり、左の端には「この国」があり、その間のどこかに我が国のポジションがある。そういう言い方でしか自国の立ち位置をいうことができない。」

p.89 「日本人は後発者の立場から効率よく先行の成功例を模倣するときには卓越した能力を発揮するけれども、先行者の立場から他国を領導することが問題になると思考停止に陥る。」

p.97 「。。。「世界に冠絶する国」は世界に冠絶する所以を挙証しない。。。」

p.102 「。。。日本を代表する国民作家である司馬遼太郎の作品の中で現在外国語で読めるものは三点しかありません(『最後の将軍』と『韃靼疾風録』と『空海の風景』)。」

p.119 「人間が過剰に断定的になるのは、たいていの場合、他人の意見を受け売りしているときだからです。」

p.136 「日本人の知的傾向に丸山眞男は「きょろきょろ」という擬態語を当てました。私はこれ以上ふさわしい形容を思いつきません。」

p.152 「。。。私たちの社会では、「立場が上」の人々は決してなぜ自分はあなたより立場が上であるかということを説明しません。そのような挙証責任をまぬかれているという当の事実こそが彼が「立場が上の人間」であることを証明していることなっているからです。。。」

p.161 「日本人はどんな技術でも「道」にしてしまうと言われます。」

p.183 「時間の長さの感覚は、生物がそれまで過ごしてきた時間の総量を分母として考量されます。五歳の子供にとっては一年は人生の二十%の時間です。五十歳の大人にとっては二%に過ぎません。。。」

p.196 「「学び」という営みは、それを学ぶことの意味や実用性についてまだ知らない状態で、それにもかかわらず、これを学ぶことがいずれ生き延びる上で死活的に重要な役割を果たすことがあるだろうと先駆的に革新することから始まります。」


読みたくなったでしょう?
この本を読んで、何かを「覚える」ということは無いけれど(あっ、第一次世界大戦での日本軍の死傷者は千二百五十人とかは覚えたけど)、日本人であることを「考えさせてくれる」と思う。
著者は「日本という存在」、自分を含む「日本人」が好きなのではないか。
日本のここがダメなのだと指摘するのではなく、「日本って日本人ってこうだよね」、だから直そうよ、ではなく、「それを分かったうえで気概を持って前に進んでいこうよ」と言っているのだと思う。

読むと勇気が湧いてくる。

AKB48の人とかが読むとどんな感想を持つのかな。
「イッテミヨーカドー」とか言っている娘さんがどこでドッグイヤーするのか興味がある。
こんな本、読まないか。。。

2010年11月6日土曜日

2010.11.06 多摩御陵

伯父が亡くなった。

※問題、伯父と叔父の違いは?

諸々の大人の事情で、なんだか(僕の両親が)大変だ。
ブログで公開するような話でないような話がたくさん。
悪い意味で激しく疲れる。
「ドン」と色んなことが起こりそうだ。
嫌な予感。
ぶるぶるぶるぶる、一旦振り払おう。


妻と、多摩御陵に「この伯父死亡のごたごたと、今の日本のごたごたの収束」をお願いに向かう。


お年寄りだけでなく、若い方も多く、特に理由はなく嬉しい。
大量に写真を撮ってきた。
ご披露したい。
例の一眼レフである。

まずは、自宅のゴンである。
数年、父母の家に預けていたが、伯父の葬式で親戚が多く集まるので、「でっけぇ猫がいたのでは。。。」ということで急遽家に戻ってきた。
※ちなみに、ゴンは6.5kg。

【やや生意気なゴン】





















【自宅そばの木】

黄葉・紅葉の準備中というところか。











多摩御陵、駐車場奥で一際激しく黄葉している銀杏。











入口、広すぎて分からないかもしれないが、人は多い。
凛とした気持ちになる。
秋の戸口にようやく手をかけた感じの黄葉・紅葉具合だ。





















人の写真があまりに少ないので、妻に出演してもらう。










































































参道途中の木々の足元の苔が大変美しい。
凛とする。





























大正天皇・皇后である。
妻が深く深くうなだれて頭を垂れる。
























































昭和天皇・皇后に向かう。














































































































深く頭を垂れて、辞する。


一応全身写真を。










多摩御陵、入り口を再度。
美しい。











帰りに寄った、デカいスーパーの屋上から。



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