2010年11月7日日曜日

こんな本を読んだ 日本辺境論

日本辺境論

日本辺境論

価格:777円(税込、送料別)


2010年度の新書大賞第一位の新書である。
ネットなどに内田氏の独自論ではなく色んな先人たちの言葉を集めただけだということが載っているが、本書の最初で、内田氏自身が先人の受け売り満載で「この本のコンテンツにはほとんど新味がない」とわざわざ断りを入れている。
先人の受け売りをただ記載するのでなく、それを内田樹という糸で独自の編み方で紡いでいるからよいのだ。


日本人はとことん「辺境人」でいこうぜ!と説いている。
「ここが面白いです」という箇所を全て指摘したら、本書全部になってしまうので、ドッグイヤーしたところを中心に少しだけ中を見てみよう。
「ふ~ん」「へぇ」「ほぅ!」「いやいやいや」の連発だ。


p.22 「私たちはどれほどすぐれた日本人論を読んでも、すぐに忘れて、次の日本文化論に飛びついてしまう。。。略。。。日本についてほんとうの知は「どこかほかのところ」で作られていて、自分が日本について知っていることは「なんとなくおとっている」と思っているからです。」

p.23 「私たちが日本文化とは何か、日本人とはどういう集団なのかについての洞察を組織的に失念するのは、日本文化論に「決定版」を与えず、同一の主題に繰り返し回帰することこそが日本人の宿命だからです。」

p.37~38 高校生に日本国憲法を書いてもらうコンクールで「そこそこの国」が理想です、と書いたくだりから、「右の端には「あの国」があり、左の端には「この国」があり、その間のどこかに我が国のポジションがある。そういう言い方でしか自国の立ち位置をいうことができない。」

p.89 「日本人は後発者の立場から効率よく先行の成功例を模倣するときには卓越した能力を発揮するけれども、先行者の立場から他国を領導することが問題になると思考停止に陥る。」

p.97 「。。。「世界に冠絶する国」は世界に冠絶する所以を挙証しない。。。」

p.102 「。。。日本を代表する国民作家である司馬遼太郎の作品の中で現在外国語で読めるものは三点しかありません(『最後の将軍』と『韃靼疾風録』と『空海の風景』)。」

p.119 「人間が過剰に断定的になるのは、たいていの場合、他人の意見を受け売りしているときだからです。」

p.136 「日本人の知的傾向に丸山眞男は「きょろきょろ」という擬態語を当てました。私はこれ以上ふさわしい形容を思いつきません。」

p.152 「。。。私たちの社会では、「立場が上」の人々は決してなぜ自分はあなたより立場が上であるかということを説明しません。そのような挙証責任をまぬかれているという当の事実こそが彼が「立場が上の人間」であることを証明していることなっているからです。。。」

p.161 「日本人はどんな技術でも「道」にしてしまうと言われます。」

p.183 「時間の長さの感覚は、生物がそれまで過ごしてきた時間の総量を分母として考量されます。五歳の子供にとっては一年は人生の二十%の時間です。五十歳の大人にとっては二%に過ぎません。。。」

p.196 「「学び」という営みは、それを学ぶことの意味や実用性についてまだ知らない状態で、それにもかかわらず、これを学ぶことがいずれ生き延びる上で死活的に重要な役割を果たすことがあるだろうと先駆的に革新することから始まります。」


読みたくなったでしょう?
この本を読んで、何かを「覚える」ということは無いけれど(あっ、第一次世界大戦での日本軍の死傷者は千二百五十人とかは覚えたけど)、日本人であることを「考えさせてくれる」と思う。
著者は「日本という存在」、自分を含む「日本人」が好きなのではないか。
日本のここがダメなのだと指摘するのではなく、「日本って日本人ってこうだよね」、だから直そうよ、ではなく、「それを分かったうえで気概を持って前に進んでいこうよ」と言っているのだと思う。

読むと勇気が湧いてくる。

AKB48の人とかが読むとどんな感想を持つのかな。
「イッテミヨーカドー」とか言っている娘さんがどこでドッグイヤーするのか興味がある。
こんな本、読まないか。。。

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