2011年10月16日日曜日

こんな本を読んだ 最終講義



内田樹氏の(わりと)最新刊。
氏のはじめての講演録である。
あとがきに、氏自身が書いているように、「途中の待った」がない内容なのでそういう意味でも面白く読むことができる。

僕自身が内田氏のファン(どのくらいディープなファンなのかは敢えて言いたくないくらいの熱烈なファンである)であり、まさに読みたかった本である。
講演録の日時がきちんと記されている。
全て、震災前である。
これ以降(震災後)の氏の講演録を是非読みたいと思う。
そこには、この本で語られる、フランス現代思想の研究者であり、ユダヤ人研究者である、武道家である氏による、この国のめちゃくちゃな「子供な大人達」によるこの国の破壊工作をさらに厳しく問い詰める論考が語られるであろう。
ルサンチマンの爆発といったこともあるのかもしれない。
事実、ここ数日、世界各国で「弱者」による「強者」に対するデモが繰り広げられている。
報道は弱者と強者の「言い分」を紹介するが、「画像付き」は常に弱者の方である。
強者はこういうところに「顔」は出さないからね。



この本を読むと、我が国の「教育」に関する絶望的な状況がその根源と共にきっちり語られているので、さらに絶望感が増すのであるが、「氏のような人」が生存してこのような様々な提言をきちっとされていて、多分そのような「正しい大人」は他にも沢山いる(多分僕達には見えない)と思うので、未来への光は少しは射していると思うので、自分も何らかの形でこの国の発展に貢献したいと思うのである。
また、今回の震災で「日本人の根幹」がいろいろな形で変わったと思う。
阪神大震災の時にも似たような感慨を持ったが、今回は別次元で「日本人の変化」が垣間見れると思う。
なんてったって、地震+津波に加えて、(起こるはずのない、起こったとしてもすぐに「大丈夫」になるはずの)原発事故が起こったんだから。



先日、福島の被災地(浜通り)に行って、あまりマスコミに報道されない悲惨な被災地の写真を大量に撮ってきた。
で、ブログで公開した。
福島県川内村出身の父、浪江町出身・楢葉町育ちの妻にも見せ、「これは公開すべき」と判断し、Upした。
「この事実を風化させてはならない」の思いが強かったのだが、一部の友人から「被災地の人の気持ちを考えたことがあるか」「ボランティア団体では被災地の写真撮影やその公開は厳しく制限されている、その意味が分かるか」「公開するならそれに見合う覚悟とそれに見合う被災地への支援を考えて欲しい」との意見を頂いた。
個人にできることは少ないが、「福島の現状を公開して、この天災と人災を風化させない」方が大事だと思うが、写真を公開することで、例えば崩れた我が家を見て心が折れる被災者が一人でもいるなら、やはり公開すべきではないだろうと思い、ブログは閉じた。
「一部の友人」が言うように、「被災地への支援」がまず第一だろう。
宮城県や岩手県への支援は(最近はめっきり減っているようだが)福島に比べると多い。
僕は福島を中心に動きたい。
まず、「行って」、「見て」、「現地でお金を落として」くる、親戚も大勢避難しているので、「父や妻を連れていく」のも、支援なのかなと思っている。



話がそれたが、この本でドッグイヤーした箇所は、第二講演の「知性」に関する発言。
曰く、「自分の知性が最高の状態にないことに、空腹や眠気や乾きと同じような激しい欠落感を覚える人間だけが、知性を高いレベルに維持できる。」
ここまでストレートに、考えたことはないが(半世紀も生きて、そんなこと考えたこと無い時点で既にダメだと思うけど)、言ってることはよく分かるし、そうありたいと思う。
だからって訳でもないけど、いつも本を読むようにしている。
手元の読みかけの本が5冊を切ると、ものすごく不安になる。
本を読むだけではダメ、ってのはよく分かっているんだけど、「本なんか読まなくてもいいよ~ん」とかよりはいいと思う。
実際、一ヶ月に一冊も本を読まないサラリーマンとかいるもんね。
信じられん。

あっ、で、この本は、「買い」です。

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