2011年4月5日火曜日

福島からの避難所生活の親戚、その後PartⅡ

その後、親戚たちは越谷市が民間に働きかけていただいた一戸建てに引っ越すことができた。
4家族である。

内訳は以下のとおりだ。
1.【大熊町在住】K家:旦那(福島と蒲田と柏崎をクルクル回る原発関連のお仕事)、奥さん(僕の妻の従姉妹だ)、高校を卒業した息子B、中二になる息子C(ちなみに、息子Aは21歳、茨城で働いている)
2.【富岡町在住】O家:旦那(福島で原発関連のお仕事)、奥さん(K家奥さんの妹、妻の従姉妹だ)、今度中学にはいる息子A
3.【富岡町在住】K家・O家奥さんの母(妻の叔母に当たる)
4.【楢葉町在住】F叔父(妻の叔父だ)

うち、4の叔父は大工さんで、O家旦那と福島に車で戻ったそうだ。
う~ん、ありえないけど事実らしい。
大丈夫だろうか。

妻が引越しを手伝い、少し落ち着いたらしい。
一般住宅地にいきなり引っ越したそうで、大家さんやらご近所の方が非常にいい人らしく安心である。
大家さんにいたっては、ご近所挨拶に「あたしが間に入ったほうがいいから」ということで、一軒一軒廻ってくださったらしい。
ありがたい事だ。

今週、学校が始まるので、少しバタバタしそうだが、基本、ぼーっとしているそうだ。
それは分かる気がする。
次の食事・お金・仕事・故郷の残してきた家財道具・仲間や友達・近い将来と未来・年取ってからを描いていたことなどなど、考えがまとまらないはずだ。

ただ単に、話をするためだけにも、訪問したいと思う。



噂の福島第一原発のうち、1号機から4号機は全て、大熊町である。
このブログにも書いたが、毎年訪れていた。

東京電力が何をどうしようとも、もう戻れることはないだろう。
チェルノブイリと同じである。
放射の汚染で町が消えると思ったほうがよい。

何ということだろう。
言葉がない。

新しい場所で、新しい歴史を作るしかない。
協力したい。



たくさんの福島の思い出の写真を電子ファイルでどっさり持っている。
ホームページを立ち上げているので、全公開して、いつでも故郷を見ることができるようにしたいと思っている。

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