越谷の老人福祉センターの避難している親戚一同の中に独身の叔父がいる。
大工さんだ。
60前で非常に元気である。
数年前には、その腕を買われてアメリカに渡り、山の中にログハウスを建ててきた。
地震の当日は海(というより川)の近くの自宅の二階でローソク一本で一晩過ごし、翌日朝に避難の旅を始めた強者である。
目の前で田んぼが海からの水でダーッと浸水するさまも見たそうだ。
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でその叔父だが、広野に住む別の親戚の叔父(こちらは総勢十数名で川口に移住中)と共に、何とトラックで福島に戻り、コメと自分の大工道具を持ち帰ったそうだ。
まず広野に行き、事情を話し、楢葉に入ったそうだが、人・車が全然なくすいすいと自分の家に戻れたそうだ。
ちなみに、第二原発のほうが近い場所だ。
帰りは福島を離れる際、放射能チェックをされたそうで、問題なしということで、埼玉にトンボ帰りできたそうだ。
第一原発から離れているとはいえ、20km圏内である。
すごい。
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