2011年3月28日月曜日

3月11日震災直後の福島県海岸近くの子供たちの

福島県の広野町・富岡町・楢葉町・大熊町から浪江町に続く国道といえば6号線だ。
もう20年近く、毎年のように夏(時に秋・冬・春)に訪れていた。

今回の震災で避難している大熊町の、妻の従姉妹に妻が聞いた話。



あの日、6号線近くの小学校では地震で小学校の窓がことごとく割れてしまい学校に留まらせておくほうが危険と判断し、子供たちを「急ぎ帰宅するように!」とのことで、一斉に下校させたのだそうだ。
子供の帰る家は、バラバラだが、「津波の向かって来る方向にひた走る」子供も大勢いたそうだ。
無念だ。
言葉もない。



どこにも報道されていないようだが、大熊町や浪江の近辺を走る消防車にかなりの数の遺体が乗せられて走っているそうだ。
本来消防車には遺体は乗せない。
今はそんな事言っていられない。

子供と親が一緒に亡くなっている場合、ほとんどが「子どもが下」にいるそうだ。
絶望的な津波の水から子供をかばおうとしたのだろう。
涙が止まらない。。。。

「ちゃんと生きなきゃ」、と強く思う。
「生き残った方々に何かしなきゃ」と強く思う。

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