2011年1月14日金曜日

政治家は60歳まで

60歳を超えたら、政治家は引退して欲しいと強く思う。
いや、数字で制限するつもりはないのだが、制限しないとね。

現場にはお婆さんもお爺さんもいらない。
実際はその「経験」は「絶対」に必要なのだが、「現場」にいてはならないと思うのだ。
別の立ち位置で指導・牽引して欲しい。
理由は、「若いものが育たないから」だ。
これに尽きる。

「きちんとした失敗」の経験を若い世代に伝えることが出来るのは、お婆さんとお爺さんである。
別の場所でお願いしたいのだ。



また内閣が再編成された。
60歳以上の面々が大半だ。
期待の官房長官の補佐にお爺さんが選ばれた。
はっきり言って、がっかりである。

何故年寄りがわざわざ選ばれるのだろう。
お年を召された方が活躍する場は、絶対に「現場」ではないと思うのだ。
「サポート」するなら、他のところでやって欲しいし、若い世代はその「場」を作るべきだと思う。

「お年寄りが席巻する内閣」に何を期待せよというのだろうか。
だって、閣議の際、座るときも咳を離れる時も、「どっこいしょ」とか言っているに違いないのだ。
内閣に期待するのは、「行動」である。
「すわっ!」って時に、走り出せる若さなのだ。

お年寄りが不要だと言っているのではない。
若者が暴走・混乱した時に、「こら!」と言っていただけるだけで良いのだ。
そのために、お年寄りは、炬燵に潜り込んで蜜柑を食べていては困る。
若者(あっ、60歳以下ね)が、間違った方に行きそうになったら、「これこれ」とすぐに言える場所にいて欲しい。



石原慎太郎さんは78歳のはずだ。
あの若さはどうだ。
「スパルタ教育」を初めて読んだ時、「あっ、カッコいい」と思ったものだ。
実は今も思っている。
でも、僕の制限を18年も超えている。
別の場を用意できない若い政治家(あっ、60歳以下ね)が情けない。

0 件のコメント:

ページビューの合計