2012年5月2日水曜日

2012年4月29日 福島ボランティア紀行

2012年4月29日(日)、福島県安達郡大玉村の仮設住宅(福島県富岡町の原発避難住民の方の一部が住まわれています)にボランティアに行ってきました。

と言っても、もちろん瓦礫の処理とかではありません。
Facebookで知り合った、座間さんという女性(相模原市でパワーストーンを取り扱っておられます)が昨年7月にも開催されたイベントです。
仮設住宅の周りが殺風景なので、お花で満たして、富岡町の被災民の方々に少しでも心安らんで頂きたいという趣旨のナイスな企画です。座間さんの旦那様は、「座間農園」の座間正晴さん。花苗はお手のもので、今回も1000を超える花苗を一人で運び込まれました。

この企画は全ての運営が、全国の(この活動の趣旨に賛同された方々の)募金で賄われています。
で、僕もそうした趣旨に賛同し、第二弾の今回、ポスターや募金の呼びかけや当日のプログラムなど、全て作らせていただきました。
こんなのです。
※お役に立ったように思います。


そして、現地にもお手伝いに行ってきたわけです。
なぜなら。。。
僕の父は福島県の川内村の出身、妻は楢葉町の出身、福島の親戚はほぼ100%浜通りに集中していますので、地震・津波・原発事故と全部ど真ん中でくらっています。
ヒトゴトデハナイノデス。
こうした活動を通じて少しでも福島に笑顔を取り戻せたらいいなと思っています、これからも。
もちろん、健康な日本人として、宮城や岩手のボランティアにも参加すべきだったんだけど、やはり、福島のために何かしたいという思いの方が強かったです。
今回実現できて、とても嬉しいです。


【29日 早朝~夕方

29日朝3:30起きで東北道を目指しました。
最初は、妻の運転です。
お天気もよく、朝焼けの昇る朝日が幻想的でした。



16号線、東名、首都高、東北道と全て順調、というか車が少なかったです。
まっ、朝早かったし。
那須高原まで一気に行きました。


運転を交代し、本宮ICで降り、地図通りに進み、現地には8:30に到着しました。
当日のプログラムでは、10:30から富岡町の方々の受け付けが始まるので、さすがに2時間前では誰もいませんでした。

仮設住宅は広大な敷地に、何百世帯も入れるようになっていますが、実際に住まわれている方は少ないです。
今回のイベントの会場になった一区域にはどなたも住んでおられないようでした。
少し、不便なところなようで、積極的にここに来ることはどうしても二の足を踏まれるのかもしれません。



9:30を過ぎ、セラピードッグ(犬に触れることで心の安らぎを取り戻していただく)を実施される小黒さんが新潟から到着されたり、座間さんご夫妻も到着、整体師によるセルフケア(被災民の方々の身体を解きほぐす)を実施される竹浩さんご夫妻も整体師の仲間を引き連れて到着、他のボランティアの方々も到着されました。
写真は、セラピードッグのワンちゃん達。


お会いしたことがある方の方が圧倒的に少ない中、富岡町役場の方(仮設住宅内に富岡町大玉出張所というのがあります)やボランティアたちと協力し、テントを立て、椅子を並べ、お弁当を並べ、座間さんご主人が用意された花苗や土やプランターをトラックから降ろし、ブルーシートを敷き、テーブルを並べ。。。。などを(30度近い暑さの中)こなしました。
作業中は、さすがに写真は撮れませんでした。

花苗に水をやる、座間さんご主人です。


こちらが、座間さん。


ツーショットです。
ご主人の厳しい表情が、座間さんの指示の「無謀さ」を物語っています(笑)。


昨年の第一回の「福島にお花を植えよう作戦」に桜を持ってきて下さった方(名前失念、ごめんなさい)が、桜を持ってきて下さいました。
ものすごく、綺麗でした。




昼食には、お弁当以外に、からし菜のお浸しなんぞも配りました。
※これを作られたのは、多分、座間さんの妹さん?すごく感じのいいかたでした。


昼食後、少し時間があったので、昨年の花苗・植えた桜(ふっこう桜と名付けられています)の様子を見てきました。
さすがにまだ、「綺麗に咲いて」とはいきません。 






富岡町大玉出張所家屋の横に貼られていたものです。
右が僕の作った、当日のプログラム。
左が放射線量報告。
福島ならではです。


午後、座間さんご主人が、花苗の説明を開始しました。
花苗は1000以上用意し、仮設住宅の方に(確かお一人7-8株)無料で配るものです。
これは、大変喜んでいただけましたね。



で、ちょっと、感動秘話。

この、参加者の中に、妻の叔母さんがいて、浪江から母の位牌を持ってきてるとのお話。
妻の母は、浪江の人。妻が小さい頃に亡くなっています。
叔母さんが参加していたことも知らないし、位牌の話ももちろん知りませんでした。
イベントの最後に、その位牌を叔母さんが妻の所に持ってきてくださり、妻に手渡してくれました。
このイベントがなければ、おそらく手にすることはなかったでしょう。
こういうのを、奇跡って言うんですね。

【29日 夕方~夜

イベントは無事終了し、ボランティアとジュースやお茶で乾杯し、集合写真を撮って解散しました。
僕たちはそのまま、大熊町で被災した妻の従姉妹が引っ越した会津若松に向かいました。
特に混雑もなく、交代で運転しながら1時間ほどで到着しました。
従姉妹の旦那(僕と同い年、原発で働いていた方(今も働いてるけど))もいて、夜は会津の焼き鳥屋さんに行きました。
ずっと思い描いていたビールです。
そして、焼き鳥です。
大量に摂取させていただきました。



【30日】

朝早く、目覚め、従姉妹一家が寝ているうちに、妻と二人で鶴ケ城まで歩いて観に行くことにしました。
※従姉妹一家の家は、磐梯山を臨む、鶴ケ城の近くなのです。

途中の近所を走る、単線です。


のんびり30分近く歩き(ちなみに、朝の7:00くらいです)、到着しました。
猪苗代湖’sの歌う例の福島の歌にでてくる鶴ヶ城です。

桜がものすごく綺麗でした。
また、朝早いのに、随分人がいてびっくりしました。
もちろん、数十人レベルですけど(笑)。






お腹がすいたので、のんびり従姉妹一家の家に歩いて戻ります。
途中、こんなのが突然あってびっくりしました。
ただ、家一軒分くらいの空き地に突然あるのです。



昼近くなり、従姉妹一家の家を出発しました。

妻の希望(と運転)で、喜多方に向かいました。
20kmくらいです。
坂内食堂で喜多方ラーメンを食べよう!が合言葉でしたが、2時間待ちとのことで、さくっと諦め、お隣の「松」で30分待ちでいただきました。





こちらです。
チャーシュー麺大盛り900円です。
喜多方ラーメンは、結構単調な味で飽きるのですが、こちらのラーメンはこのチャーシューが(脂っこくなく)大変美味で、最後まで行けました。


お店を出ると、坂内食堂の行列は更に3倍くらいになっていて、(多分)4時間待ちくらいではなかったでしょうか。
そして、スープが無くなったら終了、なので「待って食えない」人も出ることが想像され、何ともお気の毒でした。

喜多方から、磐梯山を臨みながら、郡山を介し、上りと同じ那須高原のSAまで妻の運転です。
快調でした。


そこから、地獄が待っていました。
運転が僕になったのですが、断続渋滞の連続です。
どのSAも「入るのに渋滞」だったし。
自宅到着までの約5時間強、休憩なしで一気に運転仕切りました。
先述の猪苗代湖’sの例の福島の歌を歌いながら、自分を奮い立たせ頑張りました。

途中、夕食のカツカレーをCoCo壱番屋で購入し、自宅に戻ると、ムーさんが、かような格好で出迎えてくれました。
もちろん疲れましたけど、なんとも充実の2日間でした。



会津の本屋さんで福島民報社の発行している「東日本大震災 原発事故 ふくしま1年の記録」という写真集を購入しました。
馴染みのある場所が沢山写っているもので、妻がどうしても現地で手に入れたがっていたものです。
よかった。

ここで、問題です。
【問題】
東日本大震災後、始めての国賓として来日したブータンの国王夫妻のお名前を述べよ。
【回答】
ジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王
ジェツン・ペマ王妃

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
疲れたでしょう(笑)?

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