2011年3月21日月曜日

避難所

昨日、福島の原発の影響で避難していた親戚の方々がいる避難所に行ってきた。
場所は、埼玉県の越谷である。
正確には、越谷市老人福祉センターである。

町田から小田急に乗る。
町田駅も節電のため、かなり暗い。
久しぶりの電車(電車内も節電のため電気は基本的に消している)だ。
途中駅、成城学園前に着いた時、次男の事を想う。
「ここから町田まで歩いたのか。。。」
本当に頼もしく思う。
代々木上原で千代田線に乗り換え、北千住まで行く。
北千住駅で降り、昼食をとる。
避難所でお昼を食べるわけにはいかないので。
北千住は初めて降りたが、マルイはあるし、成城石井はあるし、勿論スタバもあるし、非常に洒落た町であった。
ちなみに、お昼は、マルイの9階にある麺屋空海である。
味はまあまあであるが、830円は高いと思う。




食後、駅に向かうと、今避難所にいる妻の従姉妹の長男が同じ場所に向かっていて、しかも北千住の駅にいると連絡が入る。
駅で再開、久しぶりだ。
彼は、茨城に就職したのだ。
妻と三人で、北千住から東武伊勢崎線に乗り換え、北越谷に行く。
北越谷で降りバス停に向かう。
駅には、北越谷にある文教大学の学生が義援金カンパで頑張っていた。
妻の従姉妹の長男は、非常にさりげなく小銭をカンパしていた。
カッコイイ!

バスで15分ほど、結構な距離だ。
ようやく到着する。
大変広い場所と立派な建物が眼に入る。
被災者の方が溢れかえっているのかと思っていたのだが、誰もいないのではないかと勘違いするほど、しんとしている。

入り口にこんなものがある。
「現実なんだ。」と身が引き締まる。


中に入ると、非常に広く、静かだ。
小さな子供たちがビリヤードで遊んでいる。

受付があったので、訊ねると、面会ということで被災者の名前を確認される。
係の方は4-5名いらっしゃったが、みな穏やかな表情で、複数被災者がここにいるんです、妻は親戚で原発のある福島の楢葉町の出身なんです、この若者はここに被災している人の長男なんです、というと、一様に優しい言葉をかけてくれる。
ちなみに、現在36名の方が、ここにいるとのことだ。
家が無くなった方もいるし、家はあるけれど原発の問題が解決しないと帰れない方々もいる。


朝食だけは出るそうだが、お昼と夜は自分たちで摂るそうで、全員昼食に外に出ていた。
※自炊もできるそうだが、そもそもお釜も茶碗も箸もない。
しばらく待つと、全員帰ってきた。

元気そうだ。

この避難所にいる親戚は、全部で8人。
楢葉町、富岡町、大熊町に住んでいた。
従姉妹の旦那が先に来ていて、これも久しぶりに会う。
この人は、原発で働いている人で今回たまたま東京に来ていたのだ。

途中、妻の父まで面会に来た。
総勢13名で色々と話す。
元々笑いの絶えない一族だが、現状を吹き飛ばすようにみなで笑う。


避難所のトイレはとても綺麗だ。


中は本当に広い。


外観はこんな感じ。



そばには川も流れる。
避難している妻の叔父が食べられる野草があるので取ってきて味噌をつけて食べるつもりだといってた。
すごい。


春を思わせるように木蓮も咲いている。




避難所の中はこんな感じでかなり広い。
ここに布団を引いて皆で寝るわけだ。


布団は既に山積みである。


暗くなってきたので、帰ることにする。
バス停で最後の別れである。



うちの親戚に限らず避難されている方たちは、「今」は元気だが、戻る場所が当面ない。
今後のことを考えると居ても立ってもいられないはずだ。
数週間もすると色々と先が見えてきそうだが、なんとか元気で頑張って欲しい。

幸い我が家は特に損傷もないし、神奈川だし、いつ来てもいいように言ってきた。
本当に来て欲しい。


妻の従姉妹の旦那二人は福島の原発で働いている。
二人から、「地震発生時の現実」や「48時間ぶっ通しで頑張った事実」や「本当の原発の危険度」や「政府の失策」など色々と「事実」を知る。
ここには書けないような様々な「現実」を知る。

今、自分にできることはなんだろうと考える。。。。

2 件のコメント:

小林 さんのコメント...

突然ごめんなさい。
皆さんご無事でよかったです。
楢葉町の友人の消息を探してたところお邪魔してしまいました。

皆様のご無事なことご健康お祈りいたします

Unknown さんのコメント...

小林さん、ありがとうございます。
楢葉町のご友人の消息が早く分かることをお祈りいたします。

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