昨日ブログで報告させてもらったように、「知りうる限りの親戚は無事」だった。
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今日になり、最も世話になった富岡町の叔母が、(無事は知っていた、なぜなら見かけた人がいる情報が入っていたから)ようやく、どこにいるか分かり、どこに移動したかが分かった。
このような被害状況は全く分からないまま、叔母は川内村の川内小学校に避難、テレビもなく何の情報も入らず不安なまま4日間過ごし、兄弟の叔父が、叔母の子ども(妻の従姉妹)がいる場所(田村市常葉)まで連れて行って、涙の対面、その後、兄弟で移動しようと、川口の兄弟宅に避難できたそうだ。
妻の電話がつながり、「4日も風呂に入れなかったんだァぁ。いやいや、大変なことになったなぁ。」と言っていたそうだ。
涙である。
「知りうる限りの親戚」以外の知り合いは山のようにいるはずだ。
何とか生きていて欲しい。
頑張って欲しい。
。。。などと書いていたら、15日22時31分、強い地震だ!
次男が風呂から飛び出す。
妻が、毛布を身体に巻いて、家中の窓を開ける。
長男が、部屋を飛び出す。
。。。収まった。
むむむ。
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落ち着いたので続ける。
と思ったら、また来た!
また、落ち着いた。
と思ったら、また来た!
また、落ち着いた。
むむむ。
着替えた。
iPhone4と財布を身につけた。
今日はジーンズのまま寝るしかない。
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小学校3年生の時、クラスの行事で、「ノートに0から10000まで書いてみよう!」というのがあった。
クラスで完全到達したのは4名だったと記憶している。
そのうちの1名が自分である。
泣きながら、6789、6790、6791などと書いた記憶がある。
10000ってすごい大変な数だ。
今日現在、地震による避難者が45万人とのことだ。
ものすごい数だ。
これだけの数の方が、今、寒さと恐怖に震えているのかと思うといたたまれない。
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妻は、楢葉町の出身である。
誰にともなく、「帰りたい。。。」と呟いていた。
この女と、この女が産んでくれた子供を守ろうと強く思う。
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