妻は、福島の楢葉町の生まれだ。
父の親戚も妻の親戚も、多くが川内村、楢葉町、大熊町、富岡町、広野町、郡山市、相馬、浪江などに集中している。
そう、本震・余震で度々登場する、福島の「浜通り」地区の町である。
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今回の地震で、被害にあった全地区に相当することになる。
原発は楢葉にあるが、もう十年以上、毎年帰省しては原発のそばを通っていた。
今回の原発の事故で避難対象になっている20km圏内に、全親戚の95%は入っているはずだ。
まず結果から。
知りうる限りの親戚は全員無事であった。
よかった。
まだ無事の確認が出来ていない方も多数おられることは重々知った上であるが、よかった。
勿論、「何もなく無事」ではなく、ほぼ全員が避難所生活である。
大熊町の(妻の)従姉妹は、何が何だか分からないうちにバスに乗せられ避難所に連れてこられたそうだ。
※行き先を告げられないらしい。
富岡の叔母は、別の親戚がどこかの避難所で見た、との情報だけである。
富岡町の駅は津波で「無くなった」そうだ。
最も心配だったのは、福島第一原発で最初の爆発があったときに現場にいたはずの(妻の)従姉妹の旦那の安否だった。
昨日分かったのだが、爆発前に、間一髪、現場から離れていたそうだ。
本人は、家にもどると誰もいないし、家族は避難所にいるらしいし、で少しパニックになったそうだ。
※今は、家族で避難所にいる。
全員、津波の被害にあったわけではなくむしろ原発被害である。
元居た自分の家に帰れる保証は全くない。
「絶対安全」の謳い文句の元、「住んでいた」のであるから、その心情を察するに余りある。
自分に何ができるのか分からないが、できるだけのことはする。
もう、決めたのである。
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これは、今年の夏の大熊町の海である。
もう、見ることはできないのだろうか。
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