谷根千を散策してきた。
いつものY三さん、Nり子さん、愚妻と僕の4名だ。
※ちなみに、谷中はY三さんの故郷である。
神社仏閣や下町散策が「超楽しい」年になったのかと思うと、感無量だ。
でも、楽しいものは楽しいのだ。
町田から小田急線、代々木上原で千代田線に乗り換え、根津で降り、不忍通りの根津神社を散策し、三崎坂を通り、谷中銀座を抜け、日暮里駅すぐそばの谷中墓地でお参りし、鶯谷から秋葉原経由で亀戸に寄ってから、帰ってきた。
ご笑覧あれ。
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根津の駅を出ると目の前が不忍通りだ。
左に曲がり、根津神社を目指す。
不忍通りで、我が苗字の病院を発見。珍しい。
不忍通り沿いは、こんな小道がいたるところにあるが、大きなビルもそこここに建ち、なんだかちぐはぐな感じがする。
勿論、地元の人からすれば、「よそ者になんやらかんやら言われたくない!」といったところだろうが。
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根津神社散策の前に、不忍通りで有名(らしい)な たい焼き屋でたい焼きを買い、歩きながら食す。
一つ、140円也。
熱々で皮が薄くてパリッとしていて、これはおいしかった。
結構込んでいて、お店の人が次々客を捌く。
ほんの少し、根津駅に戻り、右折。
日本医科大学大学院を右手に見ながら狭い道を進むと、右手に根津神社が見える。
門前脇に、能書きが書いてあったが、読めない。。。
根津神社のHPがあった。
根津神社は今から千九百年余の昔、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、文明年間には太田道灌が社殿を奉建している。
江戸時代五代将軍徳川綱吉は世継が定まった際に現在の社殿を奉建、千駄木の旧社地より御遷座した。
明治維新には、明治天皇御東幸にあたり勅使を遣わされ、国家安泰の御祈願を修められる等、古来御神威高い名社である。
宝永二年五大将軍綱吉は兄綱重の子綱豊(六代家宣)を養嗣子に定めると、氏神根津神社にその屋敷地を献納、世に天下普請と言われる大造営を行なった。
翌年(1706)完成した権現造りの本殿・幣殿・拝殿・唐門・透塀・楼門の全てが欠けずに現存し、国の重要文化財に指定されている。
六代将軍家宣は幕制をもって当社の祭礼を定め、正徳四年江戸全町より山車を出し、俗に天下祭と呼ばれる壮大な祭礼を執行した。現存する大神輿三基は、この時家宣が奉納したものである。
同じ格式による山王祭、神田祭とあわせ江戸の三大祭と言われている。
江戸時代五代将軍徳川綱吉は世継が定まった際に現在の社殿を奉建、千駄木の旧社地より御遷座した。
明治維新には、明治天皇御東幸にあたり勅使を遣わされ、国家安泰の御祈願を修められる等、古来御神威高い名社である。
宝永二年五大将軍綱吉は兄綱重の子綱豊(六代家宣)を養嗣子に定めると、氏神根津神社にその屋敷地を献納、世に天下普請と言われる大造営を行なった。
翌年(1706)完成した権現造りの本殿・幣殿・拝殿・唐門・透塀・楼門の全てが欠けずに現存し、国の重要文化財に指定されている。
六代将軍家宣は幕制をもって当社の祭礼を定め、正徳四年江戸全町より山車を出し、俗に天下祭と呼ばれる壮大な祭礼を執行した。現存する大神輿三基は、この時家宣が奉納したものである。
同じ格式による山王祭、神田祭とあわせ江戸の三大祭と言われている。
だそうだ。
中は非常に美しく、黄葉・紅葉が見事だ。
乙女稲荷とやらが見える。
御祭神は倉稲魂命。社殿両側には奉納された鳥居が立ち並ぶ。例大祭は5月3日。
だそうだ。行ってみよう。
鳥居のトンネルが楽しい。
途中、六代将軍家宣の胞衣(胎盤)塚がある。
当時の習慣だそうだ。
トンネルの先は行き止まりになっていた。
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乙女稲荷を辞す。
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稲荷のお狐様の耳が取れていた。。。
百度石があった。
昔の人がお百度参りをしたのだろうか。
遠い昔を想う。
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根津神社を辞し、千駄木駅前を右に、三崎坂を行く。
当然、菊見せんべいを購入する。
Y三さん・Nり子さん一家は、谷中せんべいの方がお好みのはずだが、大量購入していた。
お母様に差し上げる分のはずだ。
我が家も父母用分を購入する。
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坂を少し上り、本日のお目当て、いせ辰で日本手ぬぐいを購入する。
2本も購入する。
1本、840円也。
日本手ぬぐいは、最高だ。
これを一度使用すると、こ洒落たハンカチは使えない。
手を拭くと、手についた水をすっと吸い取ってくれ、しかもハンカチより若干大きいので使い勝手がよい。
また、いせ辰の柄がよろしい。
大ファンである。
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いせ辰を出て、谷中銀座に向かう。
※お昼を過ぎたのだが、亀戸で亀戸餃子を食べるつもりなので、ちょっとだけ何か食べておこうという魂胆である。
地元民Y三さんの案内で、「人の家の中ぢゃねーの?」というような、小道を進む。
あっという間に、谷中銀座だ。
(例の)コロッケやメンチに惹かれるが、ぐっと我慢し、通過する。
ゆうやけだんだんの坂上からの写真だ。
人がまばらだ。
ゆうやけだんだんを抜け、先に進むと、お寺やら、(例の)谷中せんべいがある。
すぐ先に、谷中墓地がある。
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日暮里駅までから、谷中墓地に入る。
※ここにはY三さんのお父様のお墓があるので、お墓参りである。
墓地の中も紅葉・黄葉が見事である。
イチョウのじゅうたんが気持ちいい。
途中、いくつか有名な方のお墓を発見する。
長谷川一夫の墓だ。
といっても、僕の世代では、特別な感慨もない。
墓自体は小さなものだ。
亡くなった当時は、この墓が花などで埋め尽くされ、大変なことになっていたらしい。
今は静かなものだ。
オッペケペ節で有名な、川上音二郎の墓だ。
川上音二郎と言われても、やはり、何の感慨もない、ごめんなさい。。。
戦前までは、この上に銅像が立っていたのだが、戦時中に武器製造のために供出されたそうだ。
高橋お伝の墓だ。
明治の毒婦と称された人だそうだ。
で、徳川慶喜の墓だ。
案内が出ている。
親切だ。
途中、猫までが案内してくれている。
※墓地には猫が多い。
親切だ。。。
ようやく、到着する。
葵の御紋に緊張する。
墓そのものは、質素な印象がある。
能書きがあったが、全然読めない。
メンテナンスして欲しい。
徳川慶喜の墓を辞し、鶯谷に向かう途中、ケーキ屋さんの行列を発見する。
「イナムラショウゾウ」とかいうらしい。
妻とNり子さんが、激しく反応していた。
鶯谷に向かう途中、寛永寺に立ち寄る。
徳川将軍15代のうち、六代が眠っているそうだ。
上野中学だ。
※ちなみに、Y三さんの母校だ。
国立博物館だ。
寛永寺の第一・第二・第三霊園だ。
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鶯谷から、秋葉原を経由し、亀戸に。
亀戸にわざわざ立ち寄ったのは、「亀戸餃子」を食べるためだ。
一皿250円也。
料理は餃子しかない。
ないったら、ない。
しかも一人必ず二皿取らなければならない。
ここまで読まれた方は気づいただろうが、我々一行は実は一滴も水分をとっていない。
当然、ビールである。
ビールを注文すると、おばちゃんが「からし入れるね?」と聞いて、小皿にからしをぬり、目の前においてくれる。
醤油とラー油と酢を入れてしばし待つ。
※ここは喫煙可なので、一服する。
ビール到着。瓶ビールだ。
※おっちゃんが、目の前で、(かっこつけて)スッポーンと栓を抜く。
全員で乾杯。うまい!
餃子がすぐ来る。
うまい。
一皿目がなくなりかけた頃、熱々のが来る。
※皿に1-2個残っている状態で持ってくる。で、新しい皿に、残った餃子をすばやく乗せ換え、皿を重ねる。見事だ。
うまい!
ビール追加。
さらに、全員、もう一皿注文する。
※二皿まではデフォルトだが、三皿目からは、「どうする?」と聞いてくれる。
※ちなみに、僕は皆より、ゆっくり食べていたのだが、三皿目は、僕だけ残り一個になったところで来た。つまり、客の食べ状況を見ながら、熱々を出すようにしているのだ。見事だ。
全員三皿で満腹。
滞在時間、約30分ほどで、店を出る。
4名で餃子を12皿、ビール2本で4,100円である。
満足である。
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帰りの総武線は混んでいた。
小田急はロマンスカーで帰る。
雨が降っていた。。。
充実した一日だ。
明日への活力になる。
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