昨日は朝、5時過ぎ、地震だ。
※昨日、帰ってきた次男は富士山のふもと辺りで合宿でその時間は起きており、全員で宿舎から飛び出したそうだ。
飛び起きて、家のそこかしこを確認し、どこも異常が無かったので、NHKのテレビをつけっぱなしで再度眠る。
※静岡で震度6とのこと。しかも東海地震とは別物とのこと。いやはや。
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二人ともお見舞いとは思っていない。
母は、吉野家の牛丼が食べたい、父は温かいラーメンが食べたいとのリクエストがあったので、かなえてあげる。
訪問して色々聞くと、全快して保険もおりたので、万々歳とのことだ。
なら、もう少し運動(駅近辺まで歩くとか)したほうがよいと思う。
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父の喉頭癌は、抗癌剤の投与も無くなり、喉の辺りに集中的に当てていた放射線治療も無くなり、すっかり快適そうだ。
手術の痛みもないとのことだ。
※同時に手術したWさん(同じ病室だった、術後検査も同日程だ。)もすっかり回復し、釣りに行っているとのことだ。
父の声はしゃがれていたが、先日 「声出してみようっと。」 と思い、普通に声を出してみたら出たそうだ。
※妻が電話に出てびっくりしていた。
調子に乗った母に、 「歌を歌ってみたら。」 と言われ、歌まで歌ったそうだ。
ようやっと、普通の父に戻りつつある。
※何故 「つつある」 かというと、昨日訪問時は、でかい声は出せていなかったので。
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父の放射線治療の痕は悲惨だった。
喉一面がケロイド状態で、医者から貰った薬を塗り、丁寧にガーゼを当てて、包帯を巻き、冷やすしかない。
ケロイド状態の喉は、親族でなければ直視できないだろう。
母はでかい声で、 「こんなの見たらお肉とか刺身とか食べれないよぉ。」 などと、父を傷つけるようなことをニコニコしながら語っていた。
包帯を巻いている間も咳は出るので、摺れて更に痛みが増すようだ。
辛そうだった。。。
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あれから数週間、喉のケロイド状態もすっかりなくなった。
食事も普通に出来るようになったようだ。
術後しばらくは、(恐怖感から)柔らかいものしか食べていなかった。
もっと言うと流動食のようなものを母が作り、父が 「まずい!」 と言いながら食べていた。
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ケロイド状態がよくなったころから、散髪に行っていなかったことに気づき、 「そうだ、坊主にしよう。」 と思い立ったようだ。
今は、素敵な散髪道具が売っている。
最初は、12mmで父の髪を綺麗に坊主にしてあげた。
非常に喜んでいた。
2週間後、おしゃれな父は、若干の耳上辺りの髪の伸びが気になったようで更に短くするよう僕に懇願(実際は命令、しかも母に言わせる)したので、9mmで坊主にしてあげた。
その際、耳上辺りだけ6mmにするという、職人も裸足で逃げ出す技で完璧に仕上げる。
父は至極満足のようだった。
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昨日は、父母の家に寄った後、家に戻り、3泊していた次男が帰宅し疲れて寝たので(何と、翌日、つまり今日の10時まで寝ていた!確か昨日の17:00に寝たはずなので、なんと15時間も寝ていたことになる。トイレにも行かず、食事もせず、ただ寝ていた。すごい!)、しかも天気がよかったので、次男の自転車を借りて、川沿いを突っ走る。
往復1時間の旅から戻ると、妻が餃子を作っていた。
また太ってしまう。
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