そういう家庭・人・飲み会(・ひょっとして男女の色んなことなんかも?)って多くないですか?
ふと、思ったのです。
今日は休暇を取り、家で仕事をした訳ですが、仕事の合間にカレイの甘辛煮付けを作り、子供用にトマトガーリックソースを作り、夕食の支度をしたのです。
そりゃいいのですが、カレイの甘辛煮付けにビールはないだろう、と自然に思うのです。
勿論、それしかないので、ビールを飲んだのですが、「何か違う。。。」と思いました。
情報がすごく広く浅く早く流通するので、情報として、「カレイの煮付けにはビール以外考えられない!」という人もいるということを知ってしまうし、それはいいのですけど、そんなこと「知らなくてもいっこうに構わない。一緒で無くていい。」と思うのです。
ビールをできるだけおいしく飲もう!と思い、お風呂に長く入りました。
これも違う気がする。
きっと何かに触発されて「最初にビールを飲むのはカッコいい」と思ったのだと思う。
ビールの後は、殆どの場合、「買い置きがある」ので、焼酎を何かで割って飲むのですが、これも違う気がするのです。いや、「焼酎ではない」、という意味ではなく、「焼酎しかないのなら飲むのを止めるか=日本酒でもあればいいけどさ」という発想にならないのが何かヘンだなと思うのです。
そういうこと(そんなに欲しい・しなきゃいけないってほどでもない)ってすごく多い気がしています。
「今、無いならしょうがないじゃん、あるので我慢しようよ、無いなら明日でいいじゃん。」という発想が「悪」であるかのような日常になっている気がします。ビジネスも日常も。
ビジネスの場合、「そんなこと言ってたら負けちゃう。」らしいのですが、別にいいじゃん。
「負けることが悪」って考え方が何か違うと思うのですが、それが違うのでしょうか?
毎日1冊以上の本を読むようにしています。
「最近の本」は全て、この考え方に反しているように思うのです。
「他の人よりほんのちょっとでも前・もしくは先・もしくは多く、何かを掴む・もしくは貯める・もしくは備える。」ためには、どうすればよいのか、を説いています。
「○○ということが、頭がいいということなんですね。さぁ、あなたも頑張りましょう!」って毎日言われている気がするのです。
昔はそんなことはなかったように思うのです。
個人も、企業も、国もできるだけ身の丈にあった日々を過ごそうと思っていたように思うのです。
※ちなみに、戦後の話ね。
「昔はよかった」と言っているのではなく、「昔は正しかった」と思うのです。
思い出した。これって、確か井上ひさし氏がどこかに書いていた気がします。
当時は「何言ってんだ?」と思いましたが、半世紀も生きると何となく分かる気がするのです。
努力するのが悪、と言っているのではないのです、勿論。
秋口にビールが何億本売れても、「えっ?」と思うほうが自然で正しいと思うのです。
「安いから」という理由で外国のものを安易に自国に取り入れるのは間違っていると思うのです。
「便利だから」という理由で携帯電話を使うのは間違っていると思うのです。
「車がないと何もできない」なんてことは無いと思うのです。
「結婚なんて関係ない、あたしはあたしで生きていく」っていう、いい年した女性(男性も)の考えは違うように思うのです。
別のことでじたばたしたほうがいいように思うのです。
利用できるものは全て利用して、とにかく人より、ほんのちょっとでも楽したい・いい思いしたい・子供をいい学校に入れたい・いい人とめぐり合いたい・おいしいものを食べたい・お金を貯めたい・いやな奴を排除したいって思うことって、あまりに貧しいと思うのです。
今日は平日で、西友で買い物をしたのですが、普段は使わないエレベータを使おうとした際、おじいちゃん・おばあちゃん(あえてこの言い方をさせてもらいます。)が、エレベータが来ても乗るわけでもなく、所在なさげに、遠くを見ていた姿が脳裏に焼きついたのです。
その中の一人のおじいちゃんが僕と一緒にエレベータにゆっくり乗ってきたのですが、片手にビールの缶を持っていました。まだ中には、ビールが入っています。
僕は無印良品のある階で降りたのですが、おじいちゃんも降りました。
特に用はなかったようです。。。
おじいちゃん、その辺歩いて、飽きたら、家に帰ればいいんじゃないかな。
無理してビール飲まなくてもいいんじゃないかな。。。
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