2011年4月11日月曜日

埼玉県越谷市の民間家屋に移動した福島原発避難の親戚宅を訪問する

昨日は、先週の読売新聞埼玉版に載った福島の原発避難の親戚宅を車で尋ねた。
近辺に避難の人はいないようで、新聞にまで載ったようだ。


車で出かける。
子供はもう全く手がかからないので、安心して出かけることができる。
途中、妻の父を向島で乗せていくため、久しぶりに首都高に乗って向島に向かった。
行きは妻の運転なので、車内から写真を撮りまくる。
軽快にかっ飛ばす車内から撮った東京タワーである。
木の葉の茂みのど真ん中に捉えた一枚だ。
我ながら見事である。


噂の、スカイツリーである。
首都高からみるとかなり近く、大きく感じる。


太陽光線が当たり神々しい。


最接近。
その大きさに驚く。


隅田川の桜は満開で、大勢の人が出ていた。


やや離れたところからのスカイツリー。



向島で妻の父を乗せ、四つ木から首都高に乗る。
三郷で降り、草加・越谷と進み、到着する。

こちらが、越谷市が提供してくれた民間の方の家屋である。
二階は4部屋もある。
勿論一つ一つの部屋はそんなに大きくないが十分な広さだ。
一階はかなり広いリビングと6畳の間がある。
何より嬉しいのは、棚とちょっとしたものをおける空間がとてもとても多いことだ。
縁側があり、庭がある。
ちょっとした畑くらいある。
何と嬉しいことだろう。
埼玉県越谷市の方、本当にありがとうございます。
ここに9人4家族が住む。


新聞に詳しいが、食器などはすべてボランティアの方から提供いただいたそうだ。
自転車も2台。
この家の所有者の方からは、ストーブやらなんやらを提供されているそうだ。
布団は廃業した旅館の布団を市が提供してくれたそうだ。
到着して、すぐにお茶を出してくれたのだが、その湯呑みも頂いたもの。
ちなみに、転居してすぐに妻が僕の父母と買って持っていった絨毯が引いてあったのだが、自分たちで用意した大きなものはこれだけだと言っていた。
「お借りしている家」という意識が大変強く、大事に大事に使おうとしているのが分かり、すごくいい感じである。


9名中大黒柱は3本(3人)だ。
それぞれ、楢葉町、大熊町、富岡町に住んでいる。
内の、2本(2人)は原発で働いている。
妻(僕の妻の従姉妹)と子有りだ。

今回訪問して驚愕したのは、二人とも福島第一原発に戻って作業をしたのは知っていたが、途中で自宅に戻って必要な荷物を取って来ていたことである。

やはりある程度被ばくしていて、完全に除去してから関東に戻ってきている。
完全というのは、例えば、車を開けるドアの取手、手を差し込んだ裏側にも放射能の反応があるので、そういう見逃しがちなところまで徹底的に除去するそうだ。

自宅に戻って、必要だと思われるものを取りに行くときは、レインコートのようなものを3枚羽織り、家の中に入るときに脱ぎ、必要物を取ってきて外に出るときに脱ぎ、車に乗るときに脱ぐのだそうだ。
無論コートは脱ぎっぱなし。
ちなみに、福島の原発そばのあちこちにコートが脱ぎ捨てられているそうだ。

当面、直ぐに必要な服やら大事なモノを色々持ってこれたようだ。
一人の大黒柱は、何と「軽」で行って、32インチのテレビを持ってきていた。
「重かった」と言っていたがさもありなん。
「冷蔵庫開けてみた?」と素朴な疑問で聞いてみたが、「恐いので開けなかった」とのことだ。

なお、原発内では、やはり常時被ばく状況を見ていて、これ以上はダメという基準値を超える前にお役御免になるようだ。

二人ともまた行くようだ。
何というか、「プロフェッショナル」を感じる。


このような状況下でも、やはり原発から半径数キロでも居残る方は少しはいるようで、自転車でのんびり国道を渡るお爺さんなどを目撃したそうだ。
う~ん。


しばしの時間だったが、妻は従姉妹二人としゃべりっぱなしだった。
福島より越谷のほうが、相模原からは断然近いので、嬉しいようだ。

夕方、明るいうちに出発する。
今度は、こちら(相模原)に来てもらう番だ。
待ち遠しい。


帰り道、妻が撮ったスカイツリーだ。
スカイツリーがバチっと真ん中で、金網だけが流れている。
面白い。



何だか随分疲れた。

21:00前くらいに到着し、食事を始めたとたん、友人の市議会議員に呼び出される。
ちょっと手伝って欲しい、とのこと。
自転車で3分なので、疲れた身体にムチ打ち出かける。
で、昨日は実は2011年度統一選挙の日で、結果が出るまで広い事務所で大勢の支持者と待機する。
結局家に帰ったのは、2:30である。
ちなみに、当選しました。
おめでとう。

歯を磨いて、本を少し読んで寝る。

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